榎本先生が実践した仕事と育児の両立
──改めて、先生ご自身の子育てについて教えてください。
榎本:私は、もともと子どもが好きでした。でも、配偶者である妻は少し考えが違っていて、今の女性活躍社会を先取りしたような考え方をする人でしたから、子どもはいらないと言われました。それを4年ほどかけて説得して、といった経緯があるものですから、必然的に子育てにはしっかり参画しようという意識になっていたように思います。
大学の教員というのは子育てには恵まれていて、仕事と育児を両立しやすかったというのも大きいと思います。
大学教員といっても、理系の場合は研究室にこもらなくてはならないかもしれないですが、私は文系でしたので、家で仕事ができた。週3日ほど授業や会議にでて、残り4日は家で仕事と子どもとの遊びに費やすなど、比較的フレキシブルに対応が可能でした。
ちょっとした時間で公園やデパートの屋上庭園へ行ったり、場合によっては出勤日さえも職場に連れて行ったりするなど、子どもと過ごす時間を大切にすることができたかなと思います。
──職場にお子様を連れて行ったという話ですが、当時、子連れ出勤に職場は理解があったのでしょうか。
榎本:まあ、理解はないですよね。昔は、日本では職場である町工場や農作業場所なんかに、男も女も子どもも皆いたわけで、そこからだんだん職場にいるのは男性だけ、という形になっていった。
時代が流れて職場に女性が戻ってきて、そうなれば次に戻ってくるのは子どもだろうと私は周りに言っていました。私の信念としても、子どもが職場をうろうろするのが当たり前の状況になるべきだろうと考えていたからです。
でもやっぱり、職場をナメてるなどと言われるわけです。「うちの子がナメてるのは床だけで、職場はナメていないですよ」などと軽口を飛ばしても、笑われるどころか引きつった顔をされました。
なにしろ当時は女性であるアグネス・チャンが、子連れ出勤論争を巻き起こしていた時代ですから。そういう時代に男が子どもを連れ回していたのは、周りからすると、とても異様な光景に映っていたのではないかと思います。
──現在の子育て世代は共働きが過半数を占めていますが、ひと世代前まではサラリーマンと専業主婦という家庭が一般的でした。子育ての形は時代とともに変遷していると思います。日本の父親像はどのように変わってきているのでしょうか。