激動の人生が育んだ、「歌ごころ」

1999年10月25日、東京都文京区の護国寺で行われた淡谷のり子の音楽葬 写真/共同通信社

 もう一つおすすめしたいのが、淡谷81歳時の熱唱です。淡谷の若かりし頃の美声と比べて聴いてみてください。昭和53年に披露した五輪真弓の『恋人よ』を歌っている映像です。

 シャンソンやタンゴを歌いながら慰問していた戦前の可憐さとは別に、五輪真弓とは一線を画す淡谷の歌唱は、「ああ、こういう歌い方もあるんだ」と思わせるもので、歌詞は明瞭、音程は正確、そして、いちばん肝心な「歌のこころ」、つまり物語が聴く者に伝わってくる「歌のちから」に驚かされるのです。

『愛の讃歌』を愛唱していた美輪明宏は淡谷の声と歌を絶賛しています。シャンソンへの思い入れ、美しいものへのあこがれ、衣装の豪華さ、戦争・軍歌への嫌悪、率直な言動、嘘をつけない性格等々、28歳年上の淡谷に対し敬意を表しつつ、同志として通じ合うものがあったのと同時に、淡谷の歌に華やかなスターの陰影が込められていることを、美輪が見抜いていたからではないでしょうか。

 私の調べた限りでは、NHKの紅白歌合戦に淡谷が出場したのは、昭和28年の第4回大会、同7回、8回、10回、11回の5度で、昭和35年の第11回大会では、最後の小ヒット曲『忘れられないブルース』を披露しています。このとき淡谷、53歳。おそらく全出場者中、最年長だったと思われます。

 淡谷の出場は、単なる一人の流行歌手の出場とは異なり、紅白歌合戦というNHKの看板番組の権威を高める存在になっていたようにも思えます。蛇足ですが、私自身、ここ何年もの大晦日、歌合戦とはとても言えなくなってしまったこの番組を見ることはなくなりました。

 平成11年、淡谷は老衰のため、かつて私が探し当てた洗足池近くの自宅で亡くなります。92歳、波乱万丈の見事な人生でした。

 逝去後、護国寺で音楽葬が営まれましたが、祭壇には『雨のブルース』の音符が模されていたそうです。

(参考文献)
『別れのブルース』(吉武輝子著、小学館)
『ブルースのこころ』(淡谷のり子著、ほるぷ)
『一に愛嬌二に気転』(淡谷のり子著、ごま書房)

(編集協力:春燈社 小西眞由美)