少女時代に作家に憧れていた淡谷は、元衆議院議員であり歌人としての顔を持っていた叔父・淡谷悠蔵と深い信頼関係で結ばれていました。お互い強情っぱり以上の「からきず(青森の方言)」な性格にもかかわらず、馬が合ったのかもしれません。 淡谷が色紙に書く「ひとすじの道生きて来てあかあかと命の涯に燃ゆる夕やけ」は、叔父・悠蔵の作だと言われています。 人に迎合しない淡谷の「からきず性格」は、戦時中でも変わらず、軍歌を歌うことを拒否しただけではなく、「モンペをはいて『別れのブルース』を歌えると思いますか」とモンペ着用も拒否、「これは自分にとっての戦闘服だから」と言って、それまでのドレス衣装のまま歌い続けました。