淡谷のり子(1992年当時)写真/共同通信社

(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)

◉朝ドラ『ブギウギ』茨田りつ子のモデル・淡谷のり子の人生美学(1)

苦学時代のアルバイト

「霧島のぶ子」という名前をご存知の方は、かなりの美術通でしょう。

『窓際のトットちゃん』の舞台として知られる自由が丘に、「モンブラン」というケーキ屋さんがあります。その包装紙に描かれている国籍不明の女性が、自由が丘らしいおしゃれな雰囲気を醸し出しているのですが、描いたのは洋画家の東郷青児。

 東郷がまだ20代後半だった頃、裸婦を描く際にモデルとした女性たちの中に「霧島のぶ子」という女性がいたかもしれません。

 その雪肌で豊満な肉体は東郷の描く女性とは異なりますが、33歳で早世した同世代の洋画家、前田寛治の描いた「霧島のぶ子」の裸婦像が残っています。のちの「ブルースの女王」、淡谷のり子、10代の裸像です。

 将来のオペラ歌手をめざし音楽学校に通うなか、母と妹の三人が食べていくために淡谷の選んだアルバイトがヌードモデルでした。

 その時期、淡谷をモデルとして高給で雇っていた田口省吾という、東郷・前田と同年代の洋画家がいました。

 やがて、田口は本気で淡谷を愛するようになり結婚を迫りますが、淡谷は去っていきました(無理やり処女を奪った、という話もあります。田口省吾の息子に作家の高井有一がいます)。