「チャレンジング」発言が注目を集めた植田・日銀総裁(写真:共同通信社)
  • 日銀・植田総裁発言をきっかけに141円台まで値を戻したドル/円相場だが、再び146円台まで円相場は下落している。
  • 植田総裁にはマイナス金利の解除という大仕事が待ち構えているが、金融政策を巡っては政府・日銀と政治の綱引きが常に繰り広げられてきた。
  • 政治資金パーティー問題を巡り政権の維持に黄信号が灯る中、12月の政策会合でマイナス金利の解除は可能だろうか。

(唐鎌 大輔:みずほ銀行チーフマーケット・エコノミスト)

 12月7日の参院財政金融委員会において、植田日銀総裁が「年末から来年にかけて一段とチャレンジングな状況になると思っている」と述べたことで一時141円台まで戻したドル/円相場。案の定、徐々に値を戻し、12月11日の日本時間夕方には、「マイナス金利解除、日銀は今月急ぐ必要ほとんどないとの認識-関係者」とのブルームバーグの報道を受けて一時146.58円まで上昇している。

【参考記事】
マイナス金利解除、日銀は今月急ぐ必要ほとんどないとの認識-関係者(Bloomberg)

 チャレンジング・ショック直後、本コラムでも述べたように、「challenging(チャレンジング)」は日本語報道で取りざたされた「挑戦的な」という意味ではなく「困難な」という意味で使用されたもので、来たるべきマイナス金利解除に向けた意気込み表明に近いものと筆者は受け止めている。

【参考記事】
1ドル141円台に急伸、「チャレンジング・ショック」は円高局面の始まりか?(JBpress)

 既にマイナス金利は形骸化しており、「百害あって一利なし」という代物であることを思えば、理論家である植田総裁は解除自体、いつやっても問題ないとは考えているはずだ。しかし、理論的な正しさだけで金融政策は決まらない。特に日本においては政治的事情を汲んだ運営が頻繁に展開されてきた。

 1990年代以降の日本では、「引き締め志向の日銀 vs. 引き締め反対の政府」という構図が注目されてきた。植田総裁自身、2000年8月のゼロ金利解除を巡って、その決断の難しさを審議委員として体感した1人である。

 同会合では、政府側(当時の大蔵省)出席者からゼロ金利解除に対して史上初の議決延期請求権が行使されたが、反対多数で否決され、結局はゼロ金利解除に至った。だがその後、米国のITバブル崩壊を契機として世界経済に不穏な空気が漂い始めると、同年12月に日銀は景気判断を下方修正、翌2001年2月には利下げでゼロ金利に戻り、翌3月には初の量的緩和に踏み切ることになる。

 こうした経緯ゆえ、2000年8月のゼロ金利解除は日銀にとって世紀の失策と揶揄されている。

 なお、時の森喜朗政権の反対を押し切って日銀がゼロ金利政策を解除した際、官房副長官だったのが安倍晋三氏であり、この2000年ゼロ金利解除の失敗を契機として強烈な金融緩和を求める思想が芽生え、後のアベノミクスにつながっていったという説は有名である。