よしながふみ『大奥』19巻P148より ©よしながふみ/白泉社よしながふみ『大奥』19巻P148より ©よしながふみ/白泉社

 では、実際の和宮はどのような人物だったのか。

東洋文化協会 編『幕末・明治・大正回顧八十年史 第2輯』より「和宮御肖像」(国立国会図書館デジタルコレクション蔵)東洋文化協会 編『幕末・明治・大正回顧八十年史 第2輯』より「和宮御肖像」(国立国会図書館デジタルコレクション蔵)

唱えられる「替え玉」説

 実際、和宮には数多くの謎が存在し、「左手がない説」や「替え玉説」も根強く唱えられている。

 有吉佐和子の歴史小説『和宮様御留』は、家茂に嫁したのは和宮の替え玉で、しかも一人ではなく二人もいたという仮説に拠っている。「あとがき」によれば、東京に住む旧名主の一婦人が有吉を訪ねてきて、「和宮様は私の家の蔵で縊死なすったのです。御身代わりに立ったのは私の大伯母でした」と話したのが、きっかけとなったという。

『新装版 和宮様御留』有吉佐和子(講談社文庫)『新装版 和宮様御留』有吉佐和子(講談社文庫)

「欠損した左手」の謎

 和宮は、徳川将軍家の菩提寺である増上寺に埋葬されている。昭和30年代、歴代将軍と正室・側室の墓所が改葬され、その際、学術調査が実施された。

 和宮もその対象となり、身長143.4cmほどの小柄な女性であったことが判明している。筋肉量が少なく(重い物を持つことがなく、運動もあまりしていなかったのではないか)、内股であり(幼い頃から内股で歩く教育をされていたのだろう)、「貴族形質」を有しているともされた。