創価学会に課せられた使命

 実際、地方政治を見ていると、貧困家庭や高齢者に寄り添い、地域の活動を支えている議員の多くはたいていにおいて公明党の人たちであって、いまでこそ、NGOだNPOだ言ってますが実際の福祉を担ってるのは結局創価学会の人たちじゃないかとも思います。

 また、旧統一教会の件では宗教と家庭、寄付の話が蒸し返され、1950年代の反共産党活動で自由民主党の保守傍流と結託した旧統一教会が腐れ縁でいまなお自民党の枢要な政治家に刺さっている状況は、旧統一教会が標榜するキリスト教諸派だけでなく、創価学会などあらゆる宗教に対する冷めた目線をも惹起してしまっています。

 いまの世の中を見ると、本来であれば、絶対的な価値と行動規範を提示する宗教一般が現代社会において相対化されてしまい、むしろ信者である私たちとそうでないあなた方とで分断されていきがちな状況に陥っています。

 社会における宗教団体に対して感じる気色悪さの根源も、かねて宗教が戦ってきた奇異の眼や異端扱いとの戦いにもその文脈があるのであって、こんにちにおいても穏やかに信仰を重ねることそのものが非科学的だと感じる国民も少なくありません。

 しかし、一方で人間の力の及ばない問題に直面したときに自らを落ち着かせ励ます瞑想や、日々の行動を慎ましく律するための信仰がその人の未来を拓くこともあるのではないかと思うのです。偉大な宗教指導者であった池田大作さんが亡くなられた後の創価学会は、そうした本来の宗教的価値観を新たに構築していく使命を帯びています。

 ひとつの時代の終わりとともに、新たな何かを創価学会も、公明党も、日本政治も考えていかねばならない状況に追い込まれていることを鑑みると、池田大作さんは最後の考える時間を作ってくださったのかな、と感じずにはいられません。

 改めて、池田大作さんの魂に限りない平安があらんことを心よりお祈り申し上げます。