公明党が側にいない自民党単独政権の恐怖

 それがいろんな経緯もあって、1999年10月、総理であった故・小渕恵三さんの第2次改造内閣で、あろうことか自由民主党および自由党(その後、保守党となり自民党に吸収される)との連立政権が立って四半世紀、どう考えても当の方向性からするとあっちとこっちを向いているにもかかわらず、なんだかんだ上手くやってきたのは驚くべきことです。

 言わば、泥水でも何でも飲んで何かをしでかそうとし、時として暴走もしてしまいかねない自民党というエンジンと、小所帯ながら冷静に平和を追求する公明党というブレーキとが一体となってまあまあうまく機能してきたのが安定した自公政権のメカニズムであったとも言えます。

 いや、本当に自民党単独政権で過半数取りました、公明党がそばにいませんって状態って、本格的にヤバイと思うのですよ。

 公明党が各地域に根差した創価学会のパワーをうまく使うことで、小所帯でも自民党というレバレッジを使って平和を希求する国家・日本をデザインされようとしたのが池田大作さんだったのかなあという気持ちも、強く感じます。

東京都新宿区の公明党本部(写真:共同通信)

 他方、現代社会は少子化や高齢化だけでなく、経済の低迷もあって国民の生き方に迷いが深まることもまた多くなってきました。凶悪な事件の数は減っているとはいえ、生きる指針、心の拠り所をなくした若い日本人がキャバクラやホストクラブなど推しビジネスにハマったり、独居老人が食い物にされたりする事件は続発しています。

 本来は、こういう人たちにも生きる意味を与え、人間としての尊厳を取り戻し、穏やかで、しかし活力ある暮らしを復活させるためには、ある種のいま風な宗教的価値観が再認識されるべきなのではないかとすら思います。