- ジョブ型雇用やリスキリングなど、社員の自律的なキャリア形成を促す人事制度・働き方改革がブームとなって久しい。だが、掛け声倒れになっているケースも少なくない。
- パーソル総合研究所の小林祐児・上席主任研究員と、組織開発を手掛ける勅使川原真衣・おのみず社長が、危うい人事制度・働き方改革の潮流に警鐘を鳴らす。
- 第2回は、リーダーシップアセスメントなど能力評価がウケる構図と、それを選抜に使うことの弊害について議論する。(JBpress)
【対談】
(1)ジョブ型もリスキリングも「能力主義」はもう限界!危うい「個」への過剰期待
(3)ウェルビーイングやマインドフルネスに潜む危うさ、メンタルは一人で対処不能
──どうして、「能力主義の限界」を多くの人が認識していながら、そこから抜け出せないのでしょうか。
勅使川原真衣・おのみず社長(以下、敬称略):人事のコンサルティングなどが、いろいろな能力評価アセスメントを売ることを商売にしているので、「能力なんて意味ない」とはなかなか言えないのではないでしょうか。リーダーシップアセスメントといったモノサシをバンバン当てはめて「能力」を測ると儲かるんです。リーダーシップアセスメントだけではなく、ストレスチェックやらメンタルヘルスチェックやら、「データドリブン」「科学的」「可視化」などのコンサルの売り文句に乗っかって社員の能力を測ろうとする企業がいかに多いことか。
そういうアセスメントを実施すると、コンサルが言う「能力」が高くない人やメンタルが強くない人、いわば「マッチョじゃない人」を発見できます。そうするとコンサルは、マッチョじゃない人を生み出したのは、上司のリーダーシップの能力が低いからだ、という理屈を持ち出し、今度はリーダーシップ研修を売り込んでいく。もう、無限ループです。
小林祐児・パーソル総合研究所上席主任研究員(以下、敬称略):能力主義の限界を認識しつつも代替案を見出しにくい理由の一つは、ピラミッド構造の組織では人材の選抜をなんらかの基準でしなければならないからです。年齢、人種や性別などを基準に選抜されるのは嫌だから、それらを否定して能力で選抜してきたのが近代社会です。
もちろん、先ほど指摘したように、能力主義が階層主義や年功主義の隠れ蓑になってしまうという問題はあります*1。
*1:ジョブ型もリスキリングも「能力主義」はもう限界!危うい「個」への過剰期待
しかし、一定規模以上の企業においては、ポストごとに責任の所在を明確にして、なんらかの選抜をしていくためのロジックは必要でしょう。