本当の好きな人と…など現代人のメルヘン

逆に、女子の立場で考えるなら、手頃な(身分家格が釣り合う)結婚相手に恵まれない可能性が高いことになる。それなら、たとえ百姓町人でも本当に好きになれる人といっしょに、どこか村はずれの小さな家に住んで、畠でも耕してつつましく……などと考えるのは、現代人のメルヘンでしかない。
この時代にそんなことをしていたら、たちまち村を仕切っている怖いお兄さんがやってきて、年貢を納めさせられる。田畠を耕す行為と、年貢納入の義務とはセットだからだ。
それどころか、公的なセーフティネットなど皆無の時代だから、地域や職種ごとの共同体に属していなければ、まともに生きてはゆけない。今どきの都会人が、田舎暮らしをはじめて直面する困難どころの比ではない。
近くで戦争が起きれば、食料や作物を強奪されたり、田畠を踏み荒らされたり。陣地構築の資材として家をバラされて持って行かれる、などというのも「戦国あるある」だ。

武士=支配階級、庶民=被支配階級というのは、要するに、取る側と取られる側、やる側とやられる側ということだ。武家=支配階級の娘に生まれた以上は、支配階級の側で生涯を全うしたいではないか。
であるなら女性の方も、生き残った権力者や生き残りそうな強者の愛妾となって子を産む、というのは現実的な選択肢であったろう。むろん、仇敵の愛妾となることを潔しとしなかった女性もあるが、あえてそうした道に突き進んだ女性もある。

羽柴秀吉の愛妾となった茶々(淀殿)の生き方も、女性なりの「天下取り」だったのだ。戦国の一夫多妻は、シビアな時代に巡り合わせた男女が、生き残るためサバイバルシステムのようなものだったのだ。
[参考図書] 「戦国武将の寿命はどのくらい?」「秀吉が秀次の側室を皆殺しにした理由とは?」などなど、戦国武将や天下統一をめぐるリアルを知りたい方は、拙著『戦国武将の現場感覚』(KAWADE夢文庫)をご一読下さい。