(歴史ライター:西股 総生)
戦国時代の武家社会は女性が余る?
戦国時代には、現在のような一夫一妻制は存在しない。大河ドラマなどでも描かれるように、名のある戦国武将はたいがい一夫多妻である。
有力武将ともなれば、本城のほかに戦地や占領地の城に詰めていることも多かったから、現地妻の需要がある。また、屈服させた(ないしは討滅した)敵将の妻女を戦利品としていただいたり、侍女に手を出したり、家臣の娘を差し出させたりと、本人の権力・財力と甲斐性次第でどうにでもなったわけだ。
などと書くと、つい「羨ましい」と思ってしまう男性諸君もいそうである。でも、戦国武将の一夫多妻は男性にとって、本当に羨ましいものだったのだろうか?
まず、ご理解いただきたいのは、戦国時代の武士階級は男女比がいびつだったことである。なぜ、いびつかというと、男どもがバタバタと戦死してしまうからだ。
たとえば、『どうする家康』で城田優が演じた森長可(ながよし)は、小牧・長久手の合戦で討死しているが、本能寺で散った蘭丸は彼の弟だ。長可の父である可成(よしなり)も、浅井・朝倉との戦いで戦死している。
ことほど左様に、大名家当主クラスや有力武将クラスが討死するケースはいくらでもあって、立場が上だがら安泰というわけではなかった。何かの策略に巻き込まれて謀殺されたり、主君の不興をかって粛清されるのも「戦国あるある」だ。
この時代は子供が病死してしまうことも多いし、男の子は戦死するリスクと隣り合わせだから、一人息子を大事に育てていたのでは、家の存続が危うい。かといって、生まれてくる子の男女比はほぼ同じだから、男子をたくさんもうければ必然的に女子もたくさん授かることになる。
そうなると、戦国時代の武家社会は宿命的に女余り社会になる。だとすると、複数の女性を養いながら多くの子をもうけるというのは、生き残った男の責任みたいなものだったわけで、戦国武将の一夫多妻は、いつ死ぬかもしれない生き様とセットなのである。男性諸君、それでも羨ましいですか?