徐才厚氏とは、人民解放軍の制服組ツートップである軍事委副主席を務めた江派の代表格だ。

 2012年に引退したが、在任中には同じ軍事委副主席を務めた郭伯雄氏とともに軍の権力を乱用し、蓄財に走った。

訪中したレオン・パネッタ米国防長官と会談する徐才厚軍事委員会副主席(2012年9月、写真:ロイター/アフロ)

 徐才厚氏や郭伯雄氏に連なる勢力は軍全体に勢力を広げており、軍は党中央の力の及ばない伏魔殿となっていた。中央軍事委員会主席に就いた習氏にとって、徐才厚氏や郭伯雄氏らの勢力は、軍の改革や綱紀粛正を行ううえで最大の抵抗勢力だった。この一派を排除できるかどうかが、習氏にとっては指導者としての生き残りを占う最初の試金石だったといえる。

すでに手は打っていた

 習氏は新・古田会議を開く4か月前、すでに大胆な一手を打っていた。徐才厚氏を収賄容疑などで逮捕したのだ。制服組トップである軍事委副主席は軍においては特別の存在であり、その逮捕は驚天動地の事態だった。

 反腐敗闘争において「ハエもトラも叩く」と宣言していた習氏は、言葉どおり、軍の「大トラ中の大トラ」を捕らえた。そのタイミングで開かれた新・古田会議は、習氏が「トラの首」をひっさげた状態で全軍幹部の前に姿を現し、これまで水面下で進行していた闘争を本格的な全面戦争へと転換する決意を知らしめる号砲だった。

「徐才厚の影響は徹底的に排除する」

 習氏のこの言葉を聞いて、徐氏と関係のあった軍人らは肝を冷やしただろう。「習氏のお手並み拝見」と様子見を決め込んでいた多くの軍人たちも、江沢民氏や胡錦濤氏の政権下では許された放漫な時代が終わったことを実感したはずだ。

 習氏の言葉は脅しではなかった。翌2015年7月に郭伯雄氏が逮捕された。郭氏はその後の裁判で無期懲役となった。先に逮捕されていた徐才厚氏は病死した。同年8月には、かつて総後勤部副部長だった谷俊山氏が執行猶予2年付きの死刑判決を受け、個人財産もすべて没収された。