まさかの学校名?

 前述のように紀州和歌山は江戸時代から梅の名産地として知られていた。特に現在のみなべ町一帯では梅の栽培が盛んで、生産者が優良樹を見つけてはその苗木を増殖するなどして、さまざまな品種が競うように栽培されていた。

 第二次大戦が終わり、農業復興が進む中で、1950年、当時の上南部(かみみなべ)村では、地域で栽培されている梅を優良品種へ統一するための「梅優良母樹種選定会」を発足させえる。5年にわたって行われた選定の結果、6種が優良母樹に選ばれた。中でも高田貞楠氏が所有する「高田梅」が最優良品種に認定された。

 ここからが「南高梅」の名前の由来となる。

 この調査・選定に尽力したのが県立南部高校の竹中勝太郎教諭と園芸科の生徒たちだった。そこで竹中氏は高田氏の許可を得たうで、この高田梅を南部高校の「南」と高田梅の「高」をとって「南高梅」と名付け、種苗名称登録した。こうして「南高梅」が誕生したのである。