(英エコノミスト誌 2023年5月13日号)

オーストリアがロシアで躓いている(写真は首都ウィーン)

「ロシアのクマに抱きつく」策が裏目に出る時

 オーストリア連邦首相府は迷宮のような建物で、曲がり角を1つか2つ間違えると、たまに記者会見に使われる小さな部屋に行き着くことがある。

 今となっては、あの会議が開かれた輝かしい過去をうかがわせるものは豪勢なカーペットときらきら輝くシャンデリアしかない。

 ここには1814年9月から1815年6月にかけて、ナポレオンの戦争によって乱れた欧州大陸の秩序を修復しようといろいろな国の皇帝や君主、大使がやって来ていた。

 ウィーン会議は9カ月間に及ぶ仮面舞踏会と贅沢な晩餐会になり、その合間に外交のおしゃべりが時折挟まれるという有様だったが、ライバル間の勢力を巧みに均衡させたことから、欧州ではその後ほぼ1世紀にわたって平和が(おおむね)維持された。

ロシアと特別な関係を持つ西側の国

 かつてはイタリアからウクライナまで広がる帝国の中心だったウィーンは、今では欧州連合(EU)で14番目に大きな国の首都でしかない。

 帝国が失われたにもかかわらず、オーストリアはここ数十年、自分の役割を見つけることができたと考えていた。

 西側世界の一員でありながら、ソビエト連邦(ソ連)ブロックやその後のロシアと特別な関係にある国としての役割だ。

 この戦略には、胡散臭い根拠があった。

 少なくとも、ロシアの安っぽいボナパルトであるウラジーミル・プーチン大統領が、あのうまくいっていないウクライナ全面侵攻を開始した1年前まではそうだった。

 だが、オーストリアの状況は着実に悪化していった。

 大量の汚職スキャンダルが2019年から次々と、ほとんど切れ目なく浮上している。

 オーストリアという国に対する信頼は失墜し、首相の交代は過去6年で5回を数える。英国はもとよりイタリアでさえ記録したことのないペースだ。