2000年から導入され、2013年には最終的に廃止された「ゆとり教育」。
これが成功したと言う人は、いま地上にほとんどいないと思います。
いや、かつて私の身近に一人「ゆとりは成功」を連呼する人がいました。高校・大学学部学科から職場までの先輩で、プロジェクトなどでもお世話したことのある、有馬朗人という人です。
彼がこのゆとり教育の“主犯格”と言ってよい人物で、2020年に亡くなりました。
いま「ゆとり」の時代を振り返ると、2000年から2013年にかけてというのはIT革命が終わり、一通りネットワークが普及してから「Google CAT」でブレークした第2次AIブーム開始までの時期であったことが分かります。
世界史的には「グローバル社会が情報化」してから「グローバル社会がAI化し始める」までの間に相当します。
その間、全世界のシーズやニーズの動静と全く無関係に、日本国内のお役人のご都合と、手前勝手なストーリー、ならびに日本国内の学校現場が抱え込んでいた諸般の事情によって継続されたのがゆとり教育でした。
つまり、「失われた10年」を「20年」に延長するべく、日本が自ら掻きむしった古傷のような存在がゆとり教育でした。
日本全国の子供たちの「学力を低下させ」「国際競争力を奪った」とされるゆとり教育。なぜあんなものが実施されたのか?
実は私自身、こうした政策には根本動機から深くかかわっています。
また、前回稿でも触れた5月20日から東京都美術館で開催する「親子で楽しむアート&サイエンスの体験展示」も、本質的にはゆとり教育と同じで、日本の人材育成が持つ宿痾、業病の克服が課題になっているのです。
ではそもそも、なぜゆとり教育などということを、有馬さんたちは考え出し、また言い出したのでしょうか?