当時、正規版という選択肢はなく、若かりし頃の私は、これらの漫画が海賊版であることをまったく知らなかった。悲しいことに、私は他の中国人と同様、著作権の概念すら持っていなかったのだ。

著作権より出版力が重視された時代

 古代中国では、著作権よりも印刷能力を保有していることのほうが重要であった。書籍の出版には版木、製紙、拓本などの工程が必要だった。つまり書籍の出版者になれるのは、相当な資金力がある限られた者だけだった。さらに出版者には、書籍の売上収入も帰属するものとみなされていた。書籍の売上は基本的に作者には帰属していなかった。

 例えば、300年以上前に出版された中国で最も有名な小説『紅楼夢』は、今でも作者が誰であるかは明確にされていない。しかし、作品内容から、作者が豊かな生活を送っていた後、貧困で悲惨な状況になったことが示唆されている。もし当時、現代のような著作権制度があれば、『紅楼夢』の作者は印税によって終生豊かな生活を送ることができただろう。しかし、彼は小説に自身の本名さえ記す気がなかった。なぜなら、当時、小説の売上によって作者が豊かになることなどあり得なかったからである。

「海賊版大国」の誕生

 日本の江戸時代においても、中国と同様に、法律は書籍の作者ではなく主に書籍の版木所有者を保護していた。

 やがて西洋文化と現代的な印刷技術が導入されるにつれ、日本と中国はともに現代的な著作権の考え方を受け入れるようになる。1899年、日本はヨーロッパによる著作権保護の「ベルヌ条約」に署名し、「著作権法」を制定。中国も1910年に「ベルヌ条約」に基づく「大清著作権律」を制定した。しかし、翌年の1911年に辛亥革命が勃発し、清朝は滅亡する。