学部再編を申請も文科省から「警告」

 奈良学園大学は1984年、奈良県生駒郡三郷町に奈良産業大学として開学した。硬式野球部は多くのプロ野球選手を輩出している。

 名称が奈良学園大学になったのは2014年4月で、学部再編の失敗はこの直前に起きた。

 名称が変わる前、奈良産業大学はビジネス学部と情報学部を有していたが、学校法人奈良学園は名称変更に合わせて2つの学部を現代社会学部に改編し、人間教育学部と保健医療学部を新設することを2013年に文科省に申請した。

 この申請の際、再編が成立しない場合はビジネス学部と情報学部に戻して学生の募集を継続することを、ビジネス学部と情報学部の二つの教授会で決議し、理事会、経営評議会で確認していた。

 申請の結果、新設の2学部は設置が許可された。ところが、現代社会学部は要件を満たしていないとして、2013年8月に文科省から「警告」を受ける。すると、奈良学園は申請をやり直すのではなく、申請を取り下げた。

 3カ月後の11月、教員向けの説明会が突然開催された。学園側は、ビジネス学部と情報学部を廃止することを明らかにし、2つの学部に所属する教員約40人に転退職を迫ったのだ。

 このとき、川本氏は唖然とした。学部を廃止することも、自分たちがリストラされることも、想像していなかったからだ。

 さらに、解雇の理由である「過員」についても、到底納得できるものではなかった。新設した人間教育学部と保健医療学部のためにすでに約40人の教員を新規に採用していたので、教員が多すぎるというのだ。