NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第13回放送分「家康、都へゆく」では、織田信長の上洛に伴って、徳川家康たちも京都へ。信長が妹の市を嫁がせて「弟」と呼ぶ浅井長政との対面を果たす。家康はそこで初めて信長の天下取りの野望を知ることになり・・・。第13回の見どころポイントや素朴な疑問について、『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
字面ではわかりづらい「上洛」を映像化する意味
大河ドラマの内容は、史実そのものではなくフィクションである。視聴者の心をつかむための脚色がちりばめられている。しかし、だからといって大河ドラマがただの作りごとだとするのも早計である。今回の『どうする家康』でももちろん、歴史を学ぶことができる。
第13回放送分の「家康、都へゆく」では、織田信長が上洛。同盟相手である家康も、京に行くことになった。
信長が上洛して室町幕府の第15代征夷大将軍に足利義昭を擁立したことは、日本史の授業でも習うところだ。だが、「上洛」といっても、なかなかイメージがしにくいのではないだろうか。
今回の放送では、家康やその家臣たちの視点で、京に上ることがいかに特別なことだったのかが、うまく描写されていたように思う。
この上洛の様子については、信長の旧臣が書いた『信長公記』で「三河からは徳川家康が上洛してきた。皆が信長にあいさつにきたので、大変な賑わいであった」と記されており、家康は能の観覧イベントにも参加したことがわかっている。ドラマで表現された京での高揚感そのままに、家康にとって特別な京都体験になったようだ。
また、信長と家康の関係性を深掘りしているのも、『どうする家康』の特色の一つだろう。ドラマでは、信長は家康を対等な関係とは全く見なしていないが、その一方で「三河を頼むぞ」と家康をたびたび叱咤してきた。
なぜ、信長は家康をそれほど頼りにし、清洲同盟まで結んだのか。その答えの一つが、この上洛である。信長が美濃へと本格的に侵攻したのちに上洛を果たせたのは、三河の地を家康に任せて、今川や武田と対峙させたからこそ。
信長が上洛した時期は、家康と武田が密約を結んで、互いに今川領を攻め落としていた頃だ。武田の目を駿府に向けさせながら、自身は上洛を果たしたことになる。単に「信長と家康が清洲同盟を結んだ」と頭に入れるだけではなく、その背景や目的まで理解することで、各戦国大名の思惑を踏まえたより深い考察が可能となるだろう。
『どうする家康』では、武田信玄や織田信長がやたらとキャラ立ちしている。圧倒的な存在感を目の前にしてタジタジの家康も含めて、戦略の立て方や家臣をマネジメントする方法は、戦国大名によって三者三様。実際にどんなタイプのリーダーだったのかを自分なりに想像しながら大河ドラマを見ると、よく名を耳にする戦国大名の個性が際立ってくることだろう。