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写真:UPI/アフロ

(文:津田勇次)

史上最高のチームワークと謳われたWBC「侍ジャパン」を率いた栗山英樹監督は、なぜ「名将」たりえたのか。その令和時代にフィットしたマネジメント力の秘訣とは?

 今年の「理想の上司ランキング」1位は決まったも同然だろう。

 侍ジャパンを世界一に導いた監督・栗山英樹のことだ。メジャーリーガーの大谷翔平投手、ダルビッシュ有投手、吉田正尚外野手、L・ヌートバー外野手や、国内組の村上宗隆内野手、岡本和真内野手、山本由伸投手らのストロングポイントを引き出す絶妙なマネジメント力で、見事に頂点の座へと上り詰めた。

 過去のWBC日本代表監督と比較すれば、現役時代の成績はどうしても見劣りしてしまう。第1回大会の王貞治、第2回大会の原辰徳、第3回大会の山本浩二、第4回大会の小久保裕紀はいずれもアマチュア時代から名を馳せ、プロ入り後も一時代を築いたスーパースターだった。

 それに比べて栗山は、国立大の東京学芸大からドラフト外でヤクルト入りした文字通りの「雑草」。プロ3年目のシーズン後半から外野のレギュラーに定着し、1989年にはゴールデン・グラブ賞のタイトルも獲得した守備の名手だったが、プロ2年目に発症したメニエール病に苦しみ、選手生活はわずか7年。29歳で現役引退を決断した。

 しかし、第二の人生で仕事に一切手を抜かなかったからこそ、今の座がある。根底にあるのは野球に対する愛情と、人間学への旺盛な好奇心だ。「熱闘甲子園」のキャスターとしては現場にこだわり、強豪私学から普通の県立校まで自らの足で取材を重ね、球界の未来に思いを馳せた。

 母校・東京学芸大の「現代スポーツ論」で教壇に立ち、白鴎大経営学部の教授を務めるなど、学び続けることを自らに課した。明朗で謙虚で勉強熱心。その姿をしっかりと見ていたのは北海道日本ハムファイターズの上層部だった。

 2012年、監督就任。いきなりリーグ優勝を成し遂げる。そしてそのオフのドラフト1位で入団したのが、一度は進路をメジャー1本に絞っていた花巻東の大谷翔平だった。

 二人は出会うべくして出会ったと言えよう。

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