そこで繰り広げられる技の掛け合い、受け身の取り合いは、ひとつの「様式美」と言っても過言ではない。そして時には勝敗以上にお客さんを満足させられるかが、重要になってくる。

 武藤は、この総合格闘技とプロレスの違いを誰よりも知り尽くしているレスラーだったと思う。

 今日のプロレスはジャーマンスープレックスやパワーボムですら繋ぎ技になり、危険な技のデフレが止まらない。お客さんの満足度を高めるためには必要なのかもしれないが、リング禍につながってしまう恐れがつきまとう。

 言うまでもなく、レスラーにも生活はある。継続して興行を打てなければ、収入は絶たれ、路頭に迷ってしまうのだ。危険な技でけが人が続出し、興行が成り立たなくなってしまったら困るのはレスラー本人である。

 リアルに強さを求める総合格闘技の難しさもここにある。その性質上、試合後のリカバリーに時間がかかる選手が多くなってしまいがちだ。すると定期的な興行を打つのが難しくなり、限られたビッグマッチに頼るしかなくなる。すると大金が動くことになり、その匂いにつられて……。

 そういった面で、フラッシングエルボーやシャイニングウィザードといった数を絞った技で試合を成り立たせ、独特のリズムでお客さんを魅了した武藤選手はプロ中のプロだった。激しい技を使わなくても格闘技のエッセンスを取り入れ、きちんと興行を成り立たせ、次回につなげていたのだった。

 その分、どこか負担がかかっていたようで、膝に人工関節を入れざるをえなくなってしまったけれど。

 新日本プロレスが総合格闘技路線に舵を切り始めた時期に、全日本プロレスに電撃移籍を果たしたのも、プロレスラーとしての矜持が感じられ、いま思えば当時とりうる選択肢の中で最も正しいものだったと言える。

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 つい、プロレスの話が長くなりました。本題である書店の話を始めましょう。

 私は文学少年だったというわけでもなく、本棚が並ぶ空間に憧れを抱いてきたわけでもありませんでしたが、気が付けば20年以上、書店業界に居座り続けています。

 それだけ居心地の良い職場、職種なのでしょうが、出版業界のV字回復や反転攻勢を見届けずに、リタイアする可能性が高まっているのが残念でなりません。

 日本出版インフラセンターによると、この10年間で全国の書店数は約3割も減ったとのこと。地場の書店である私たち、さわや書店も危機感を抱き、少しでも売り上げを伸ばそうと、日々もがいています。

「活字離れ」もあるが「魚離れ」もあるなかで

 が、新規出店や売り場面積拡大のといった売上増のための手段が機能せず、売場を充実させるだけでは売上減の歯止めにならない現実を前に、打つ手が見当たらないのが現状です。

 いままでは、良書を揃えて、しっかりと売場を作ってさえいれば、売り上げはついて来る、という雰囲気が醸し出されていました。そこには、「文化」である本は、世情に左右されない商品であり、他の小売業とは一線を画しているのだ、という自負が間違いなくあったのです。

 これはさわや書店だけではなく、大なり小なり全国の書店が抱えてきた想いではないでしょうか。

 そんな折、買い物に入ったスーパーの鮮魚コーナーで、ふと気付いたことがありました。