共産党のイメージを変えた不破哲三
1982年、宮本顕治委員長の後継として委員長に就任したのが不破哲三(当時52)だ。
1930年、東京生まれ。というから戦前の命がけの党活動はもちろん経験していない世代だ。しかし、彼は高校生の時に共産党に入党し、東京大学卒業後は労働組合の書記として活動を続けたというバリバリの活動家だ。
不破は40歳で書記局長に抜擢された。共産党のプリンス、スマイリングコミュニストなどの異名も持つ。
また、趣味の山歩きで子供向けのテレビ番組に出演したり、クイズ番組に出演して高得点を上げたり、と、共産党のイメージアップに貢献した委員長でもあった。
1997年、熱海で開かれた第21回共産党大会を取材したが、不破の抑揚もつけずに淡々と演説する姿を見ていて、心のゆとりのようなものを感じた覚えがある。うまくは説明できないのだが、不破にはそんな雰囲気があった。
国会の予算委員会での弁舌も、決して大きな声ではないが、理路整然とした切り口で淡々と質問する姿が印象に深い。
不破は1987年にいったん退いた後、1989年に再び委員長に就任、そして2000年に現在の志位和夫委員長(当時46)に委員長の職をバトンタッチした。