多摩川の土手を散歩する宮本顕治共産党議長(当時76)は堂々たる風貌だった。厚手のコートに帽子というその姿は、モスクワの赤の広場に立つソビエト共産党の政治局員を彷彿させた。私は宮本に声をかけ、目の前まで行ってカメラを構えた。1985年3月のことだ。「ミヤケンさん! お元気そうですね」と、おそるおそる声をかけると、「うん」という力強い声が返ってきた。重く威厳のある声だったが、不思議と親しみを感じた。 宮本は1908年、山口県に生まれた。東京帝大在学中から文筆活動に励み、1929年、芥川龍之介の死を評した「『敗北』の文学」が雑誌『改造』の懸賞論文に入選したことで文壇にデビュー。そしてプロレタリア文学