人の命を預かる医師の人間性に疑問符がつくようでは困る

 群馬大学医学部で「3年生の3分の1、40人が留年」の異常事態との報道(https://bunshun.jp/articles/-/58285)がありました。

 そのうち24人は「たった1人の教員の授業で単位が取れないため留年」「アカハラだ」との声が上がっているというのです。

 関連する報道やネット記事を(網羅的ではないですが)十数件ほどチェックしてみたところ、すべてが「アカハラありき」でした。

「群馬大学医学部アカハラ、言語道断」といった論調一色になっていました。

 しかし、その根拠としては、報道された表現を鵜吞みにして「とんでもない」を繰り返すもの以外、目にしませんでした。

 実はこの問題、私たち「ゲノムAI生命倫理研究コア」の観点からは背景が明確に察せられ、最低でも「両成敗」的にバランスをとった議論が必要と思われます。

 そこで背景を解説します。また冒頭に記しておきますが、記事をよく読まずに「群馬大学医学部のアカハラを擁護している」などと、初歩的な誤読で踏み迷わないようにお願いしておきます。

 以下ではもっぱら24人が留年したという必修科目、「医の倫理学」ならびに「医系の人間学」のような科目の設定意図と、2020年代の若者全般に見られる傾向に対する医療人材育成側の対策に関して、医療倫理・生命倫理の観点から冷静な背景を解説します。

 個別事例については報道を待つしかない部分もありますので、なぜこのような科目が2030年代以降必須不可欠になるかといった背景の構造を解説しましょう。

 なお、今回やたら言及されている担当教官、服部健司先生と面識は一切ありません。

 ただ、服部先生はかつて東京大学「死生学」講座に協力してくださり、お考えの核心は私なりに理解するところがあります。

 今期当該授業の具体的な実態は把握していませんので、以下では一貫して原則的な議論を平易に説明します。