クリミア大橋爆破を受けてウクライナへの無差別攻撃に踏み切ったプーチン大統領(10月10日サンクトペテルブルクで、写真:ロイター/アフロ)

 ウクライナ侵攻を続けるロシアのウラジーミル・プーチン大統領が10月7日、70歳の誕生日を迎えた。

 ウクライナに対する「妄想」から、ほぼ独断で突き進んだ侵略戦争は思わぬ苦境を招き、軍事大国神話も崩壊寸前の有様だ。

 客観的にみれば22年前の大統領就任以降、最悪の状況で迎えた誕生日といっても過言ではない。本人の心境は穏やかではないだろう。

 展開できる地上軍の大半をウクライナに投入したにもかかわらず、欧米の支援を受けたウクライナ軍の猛烈な反攻作戦で、ロシア軍は侵攻当初には想像もしなかったほどの大苦戦を強いられている。

 東部ルハンシク州や南部ヘルソン州の占領地の維持も困難になる可能性が高い。

 プーチン氏がモスクワのクレムリンで、約6割しか占領していないドネツクなど4州が「永遠にロシアになる」と宣言したいわゆる「併合演説」を行った翌日の10月1日、ウクライナ軍はドンバス地方の鉄道輸送のハブである、ドネツク州の要衝都市リマンを解放。

 ロシア軍はウクライナ軍に包囲され、ほうほうの体で退却を強いられた。

 ロシア軍とプーチン氏にとって信じがたい敗北だった9月のウクライナによるハリコフ州奪還以上の戦略的敗北ともいわれるほどで、ウクライナ軍は、ルハンシク州への攻勢に向けて重要な足場を築いた。

 メディアやSNSでの過激な言動で知られる民族愛国的な武闘派の動揺は激しく、ショイグ国防相ら軍幹部を公然と非難する異常な状況であり、到底プーチン氏の誕生日を祝うような雰囲気ではなかった。

 さらにはウクライナの人権団体、ベラルーシの人権活動家とともに、昨年末に政権が解散決定を下したロシアの人権団体「メモリアル」のノーベル平和賞授賞が7日、発表されたこともプーチン氏にとっては道義的な打撃となった。

「メモリアル」はスターリン時代に行われた大粛清など多くの人権弾圧の調査と被害者救済を粘り強く続けてきたが、プーチン政権が最も重視するスターリンが指導した大祖国戦争勝利(第2次大戦の対独戦勝)を中核とした愛国主義政策の推進にとって目障りな存在として外国の代理人と指定されていただけに、ノーベル賞委員会が一矢報いた格好となった。