安倍晋三元首相の国葬で、友人代表として圧巻の弔辞を読み上げた菅義偉前首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 菅義偉前首相が喝采を浴びている。安倍晋三元首相の国葬で披露した友人代表としての弔辞が感動的だったからだ。これほど泣かせるスピーチができる人だったのか、と誰もが思ったはずである。棒読み調で官僚答弁的な岸田文雄首相とは極めて対照的に、菅氏はストレートな気持ち、思いをありのままに表現した。

 国葬の主役が安倍元首相であることはいうまでもないが、スピーチの主役は間違いなく菅氏だった。歴史に残る圧巻の弔辞はかなり早い段階で書き上げられており、復権の兆しを感じさせた。

10日以上も前に書き上げられた「ありのまま」の気持ち

「(スピーチライター等の)特訓を受けたわけでもない。ありのままです」

 菅氏に近い永田町関係者は国葬当日の9月27日夜、はっきりこう語った。「ゴーストライターがいるのではないか」「スピーチの練習をしたのではないか」との指摘は誤りである。

 弔辞の本文自体も、菅氏自身の言葉で書き上げられたことに疑いはない。「7月の、8日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気をともにしたい」。「の」などの助詞で、思いつくままに言葉をつなぐ自然体のスタイル。「信じられない」「とにかく」「お目にかかりたい」。いずれも菅氏が日常的に使っている癖のような言葉だ。番記者との懇談で時折みせる、リラックスしたときの雰囲気に近い。

 特筆すべきは、相当早い段階で弔辞の原案が固まっていた点にある。筆者が把握している限り、国葬から10日以上前の9月16日時点で、すでに原稿は完成していた。故人を追悼する思いがあふれ、一気に筆が進んだことは容易に想像できる。

 時間的余裕はあった。国葬で菅氏が弔辞を述べるであろうことは、もともと想定されていた。表向きには9月5日、岸田首相が菅氏の議員会館の事務所を訪れた際に正式に依頼したといわれているが、菅氏はそれ以前から心の準備をしていたとみられる。

 振り返ると、菅氏の動きは大舞台の弔辞に向けてのものだった。岸田首相との面会から2日後の9月7日、安倍元首相の銃撃現場となった奈良市の近鉄大和西大寺駅前を訪れている。手を合わせ、目をつむり、立ちつくした。スピーチの材料になったはずである。「現場に行くと胸中さし迫るものがありました。本当に無念で残念で悲しい気持ちでいっぱいです……」。この時も、自らの気持ちをストレートに自然体で語っている。

 首相在任中、自ら発する言葉に対し痛烈な批判を浴びた。「国民とコミュニケーションが取れない」「演説が原稿棒読み」。世論やメディアは、この日の弔辞を聞いて従来の口下手な印象を一変させただろう。いや、口下手であることに変わりはない。スピーチ力が急に増したわけでもない。総理大臣の任という重責が当時、自然体の菅氏の良さを奪っていたのか、と思わざるを得ない。