「この苦労」は未来にどうつながっているのか。そんな不安は常に付きまとう。トップに上り詰めた人たちは過去の苦労をどうとらえていたのか。
日本バスケットボール界のレジェンド・折茂武彦の場合——。
北海道にプロバスケットボールチームをつくる。そう決めたはいいものの、現実は簡単ではなかった。
選手としてプレーを続けながら、チームの立ち上げを経験した折茂武彦が当時の心境を「音が怖い」と振り返った。
8月21日に行われるトークイベントの前に折茂の著書『99%が後悔でも。』で語った秘話を紹介する。
音が怖い、気分が悪い
会社立ち上げ当時の3カ月は、記憶が断片的になっている。
覚えているのはいくつかのシーン。そのほとんどがネガティブなものである。
例えば、「10万円でいいんです」と営業回りをし、必死に訴え続けたこと。反応は相変わらず冷たいままだった。
とにかくひとりになりたかったこと。
電話が鳴るのが怖くて布団を頭からかぶったこと。それでも着信音が聞こえてくると、心臓を鷲摑みにされたような感覚に陥っていた。携帯電話の電源を切ると、誰かが家までやってきた。休まる時間がなかった(いま思うと、あれはわたしを心配して駆けつけてくれたのかもしれない)。
ついには「音」に恐怖を感じるようになったこと。テレビもすっかり点けなくなった。人の話し声が聞こえると、気分が悪くなるのだ。この状態は、1年以上続いた。
暗く、静かな部屋の中。
ベッドに横たわっても、眠ることができなくなったこと。医師に相談し、一番強い睡眠薬を出してもらっても、2時間眠れればいいほうだった。たいてい、30分で目が覚めてしまう。朝が来ないでほしい、と思った。
食事も喉を通らなくなったこと。体重は、数カ月前より8㎏ほど減っていた。初めての過呼吸も経験した。
ある日、千葉の自宅で離れて暮らす妻が飛んできたこと。おそらく、わたしの言動が尋常ではなかったのだろう。
支えは、北海道への思いだけだった。
たくさんの熱いファンがいる。メディアも報道をしてくれる。バスケットボールにとって、こんな〝ホーム〟はほかにない。
もし、2度目の「北海道チームの解散」となれば、3度目はない。それは、自分が〝万歳〟をしたときだ。
だから、踏ん張りたい。できるところまで、やり切りたい。
放心状態に近い中で灯(ともしび)となっていたのは、そんな思いと、再びファンと勝利の喜びを分かち合いたいという気持ちだった。