北朝鮮による拉致問題を認めるだけで終わった日朝首脳会談
また、金正日氏は北朝鮮に拉致された日本人生存者5人の日本訪問までも許容するという、これまた史上初の決断を貫いた。これに対して、北朝鮮の実務関係者は何の異議も唱えなかったという。自身の即興政治によって起こったことは、最後まで自分の手によって始末する、金正日氏の性格を誰よりもよく知っていたためだ。
だが、日本を訪問した拉致被害者が北朝鮮への帰国を拒否し、これまで北朝鮮で体験したことをメディアに一つひとつ明らかにしたことで、国内外の世論が完全に反北朝鮮一色になった。日本国内の反北朝鮮世論は、小泉内閣さえも手のほどこしようもないほど、険悪になってしまった。
結局、2002年と2004年にかけて2度開催された日朝首脳会談は、北朝鮮による拉致問題だけを認めて終わる格好になった。金正日氏は日朝首脳会談の失敗の原因を自身の責任でなく、北朝鮮外務省の責任として処理し、「外交も工作だ。今後、対日関係問題は党対外連絡部で主管するようにしろ!」と、指示を与えたという。