北朝鮮の漁師。北朝鮮では船舶の出入りは厳格に管理されている(写真:AP/アフロ)

(金 興光:NK知識人連帯代表、脱北者)

 韓国では、文在寅(ムン・ジェイン)政権下の2019年11月に起きた「脱北漁師の強制送還事件」で激しい議論がわき起こっている。

 与党「国民の力」は「憲法と国際法に違反した、反人道的、反倫理的な犯罪行為である」と主張し、事件の真相究明を求めている。それに対して、文在寅政権の時の与党だった「共に民主党」は、「猟奇的な凶悪犯である北朝鮮住民も、私たちの国民として受け入れなければならないのか」と反論。両者の主張は真っ向から対立している。

 韓国国内も、強制送還事件の真相究明を求める声と、凶悪犯の追放は社会的な安全のためだったとする声が激しく交錯しているのが現状だ。

 この論争は、脱北した2人の漁師が同僚16人を殺害した凶悪犯であるという前提のもとで、喧々囂々と議論されている。だが、我々脱北者から見ると、この論争の前提が最初から間違っていると強く感じる。

 2人の漁師は海上警察に逮捕された5日後、確かな証拠も裁判もなしに凶悪犯の烙印を押され、北朝鮮に強制的に追放された。裏を返せば、文在寅政府が2人の漁師を追放するには、凶悪犯という以外の名目がなかったということだ。

脱北して韓国に入れば自動的に国籍を付与

 大韓民国の憲法には、大韓民国の領土は韓半島全域とその付属の島々であると明記されている。つまり、法的には北朝鮮に生まれた住民もみな大韓民国の国民であり、脱北して韓国に入国すれば、自動的に国籍が付与されるのだ。本人が拒否しない限り、北朝鮮に追放されることはあり得ない。

 7月18日、韓国統一部は2人の脱北漁師が板門店を通り、北朝鮮の刑務官に引き渡される状況を撮影した動画を公開した。動画を見ると、目隠しされ、完全に捕縛された姿で連行されて行く様子が映し出されている。

 21歳と23歳の北朝鮮青年が警察特攻隊に捕えられたまま、抵抗しながらも北朝鮮軍に引き渡される姿は、人民裁判の写真や過激派が人質を殺害する動画で見た場面と同じである。

 縄に縛られた、処刑直前の張成沢(チャン・ソンテク、金正日体制の実質的なナンバー2で、金正恩総書記の後見人的存在だった)や、中国の公安に動物のように引きずられて行った脱北者の姿が重なる。

 分断の象徴である板門店の黒歴史に新たなページを刻んだ蛮行シーンの演出家は、まさしく大韓民国そのものだった。

 この映像を見て、私を含めた脱北者の多くは「2人の漁師は凶悪犯ではなく、北朝鮮にへつらうため、文在寅政権が意図的に嘘で塗り固めたものだ」と徹底した真相追及を要求してきた。

 我々のような韓国の脱北者が、漁師の若者は凶悪犯ではないと主張しているのは、北朝鮮の基本的な常識に照らし合わせれば、あり得ないと思えるためだ。ここには様々な根拠があるが、中心的な4つの理由を述べようと思う。