山上容疑者のものとされるツイッターの書き込みにはこんなものがあった。

「俺は作り物だった。父に愛されるため、母に愛されるため、祖父に愛されるため」(2019年12月7日)

「根本的に家族として崩壊したまま、現実は上滑りしていった」(2020年1月26日)

 そして、統一教会への恨み辛みを、フォロワーもないのに書き綴る。

カルトにのめりこむ親と虐待を受けるその子、政治は何もしてやれないのか

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とはよく言ったものだ。そこに飛び込んできたのが、昨年の9月に統一教会の創始者である文鮮明の妻にして、現在の主宰者である韓鶴子が立ち上げたNGO「天宙平和連合(UPF)」に送った安倍氏のビデオメッセージだった。そこで元首相は「韓鶴子総裁をはじめ、皆さまに敬意を表します」と憎むべき相手を表敬している。憲政史上、在任期間が最も長く、日本の国土と国民の生命、財産を守るべく反対を押し切ってまで安保法制を成立させた元首相が、自分の母親と財産を奪った張本人を敬う姿。敵意を抱いたとしても不思議ではない。

 とすれば、この事件で着目すべきは政治的思想でもカルト団体の存在でもなく、そこに依存して抜け出せなくなった母親とその子どもの小さな世界にこそ、これだけ衝撃的な事件を引き起こした元凶がある。むしろ、たまたま依存したのがカルトというだけで、統一教会や政治家の関わりを見ても、事件の本質は見えてこない。

 もっともこうした親子を救えなかったことにこそ、政治の限界があるのかもしれないのだが。