G20大阪サミット会場で握手する安倍元首相と中国の習近平国家主席(2019年6月28日、写真:ロイター/アフロ)

(姫田 小夏:ジャーナリスト)

 安倍晋三元首相の銃撃事件は、中国でも戦後の日本政治史における最大の惨事として伝えられた。一部の“反日分子”がインターネット上で心無い言葉を撒き散らす一方で、親日派の人々は「日本は唯一の政治リーダーを失った」とその死を惜しんだ。

 中国人にとって安倍氏は、良くも悪くも影響力の強い政治家であり、その評価は複雑だ。安倍氏は、大国を標榜する中国と伍して渡り合える日本の政治家だったからだと言えるだろう。2000年代から今に至る20余年、日中関係が激動の波に呑まれる中で、安倍氏は“硬軟織り交ぜた絶妙なバランス感覚”を発揮し、日本企業の対中ビジネスの道を拓いた。

 2001年から毎年続いた小泉首相(当時)による靖国参拝を発端に、2005年4月には北京や上海で反日デモが暴徒化するなど、日中関係は大きく冷え込んでいた。2006年9月、戦後最年少で首相に就任した安倍氏は初の外遊先として中国を選び、翌月に北京へ飛んだ。日本の首相が中国を公式訪問するのは、1999年7月の小渕首相(当時)以来だった。

戦後レジームからの脱却

 胡錦濤国家主席(当時)との首脳会談で、安倍氏は日本の平和国家としての歩みについて中国側に評価を求め、また中国の愛国主義教育については、日本に関する教育や歴史展示物についての適切な対処を要請した。