アル・パチーノと彼女がタンゴを踊る場面は、第一の見せ場。第二の見せ場は、アル・パチーノが盲目の身でフェラーリを運転する場面ではなく、親戚の家を訪ねていき、そこで親戚の男からアル・パチーノがくそみそに罵倒される場面。アル・パチーノの、口は悪いがほんとうはいい人間なのだ、という、通り一遍のいんちき人間観が否定される。たしかに親戚にアル・パチーノみたいなおやじがいたら、いやだろうな。

 だが最高の見せ場は、ラストシーンにある。チャーリーが通う伝統ある名門高校で、ある生徒たちが起こした不祥事を裁く全学集会が開かれる。責任をチャーリーひとりに押し付けて事の解決を無難に図ろうとする校長と、口を閉ざしてあわよくば無罪放免を期待する実際の犯人である金持ちの家の生徒たちを相手にして、スレード中佐がチャーリー擁護の演説をぶちあげるのだ。映画史上、最高最良の演説であり、これほどカタルシスがある映画もまたとない。映画は脚本だ、ということがわかる。

『セント・オブ・ウーマン 夢の香り』で演説するアル・パチーノ(写真:Photofest/アフロ)

『ゴッドファーザー』や『カリートの道』のアル・パチーノもいいが、ほんとうをいえば、わたしはこの映画のアル・パチーノのほうが好きである。

5 『ブラス!』(1996、108分)。 マーク・ハーマン監督。知っている俳優はユアン・マクレガーだけ。あとで、楽団指揮者ダニー役のピート・ポスルスウェイトがイギリスの名優と知る(わたしより一歳年上なだけなのに、64歳で死去)。

 サッチャー政権下の小さな炭鉱町グリムリー。炭鉱閉鎖が避けられないなかで、市民の解雇がつづき、町の吹奏楽団も存続の危機を迎える。「何もかもなくした。女房、子供、家、仕事、自尊心、希望。でも大したことない。大事なのは音楽さ」

 数々の困難を乗り越え、あるいは耐えて、楽団は存続する。疲弊した町民に「元気を与える」など傲慢なことはいわない。町民も「勇気をもらった」など偽善的なことはいわない。楽団は予選を勝ち上がり、ついには全国大会を果たす。ロンドンに行く。

 指揮者デニーが病に倒れ、代わりを務めるもみあげの太い代替指揮者(ジム・カーター)の指揮ぶりがじつに見事である。決勝での演目の「ウィリアム・テル序曲」は圧巻である。何度見たことか(この場面はYouTubeでも見ることができる)。最後にダニーが会場に現れるが、ラストシーンのダニーの言葉がまたいい。

 決勝を終え、「威風堂々」をバスのなかで演奏しながらロイヤル・アルバートホールを後にする場面は感動的だ。