(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)
昨年から引きつづくコロナ禍以降、テレビがつまらなくなった。代わりに、以前にも増して見るようになったのはYouTubeである。なかでも最も好きなのが、映像作家保山耕一(ほざんこういち)氏の「奈良、時の雫」シリーズである。一番心が落ち着く。
保山氏については以前、簡単にふれたことがあるが(「外出自粛ならこの映像と本で癒されようではないか」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60252)、詳しく紹介しておこう。わたしがはじめて保山耕一という人を知ったのは、2019年のことである。NHK・Eテレの「こころの時代」という番組の3月2日の回「命の輝きをうつす」で、たまたま氏のことを知ったのである。一気にかれの魅力に引き込まれた。
病に襲われてふと撮り始めた
保山氏は1963年生まれ、現在58歳である。高卒後、テレビの世界に入り、やがて特殊機材を駆使する名うてのカメラマンとして知られるようになった。「THE世界遺産」や「情熱大陸」など有名番組で活躍して得意の絶頂(?)にいたが、まさに青天の霹靂、2013年50歳のときに直腸がんに襲われたのである。
末期だった。いきなり絶望の底に叩き落された。なにもしなければ余命2か月。5年後に生きている確率は10%といわれた。せめてあと3年は生きたいと思った。
治療・手術で直腸を全摘、大腸の一部を摘出した。その後1年間、抗がん剤治療をつづけた。仕事仲間はいたが、仕事仲間しかいなかった。友人が一人もいない。かれはあるインタビューで「病気で倒れたら一人も友達がいない。それだけ最低な奴だったんです」と答えている。全員、仕事を取り合うライバルだった。業界内部で「保山はがんであかんらしいで」という声が広がった。
社会のなかでの孤立感。孤独と絶望しかなかった。やむなく職を辞した。しかし治れば復帰したいという希望に縋った。ふとスマホで動画を撮ろうと思った。故郷の「奈良にさよならをするつもり」で撮りはじめた。
一番好きなものを撮ろうとしたら春日大社の飛火野を撮っていた。病を忘れ、熱中できた。それが2015年、「奈良、時の雫」シリーズのはじまりだった。現在、シリーズは6年目、880回を超える作品群となっている。