広すぎるその版図の大半は好んで人が住むような場所ではない。しかし様々な利権、特に地下資源という観点が生まれて以降、「シベリア流刑」は一つには「厄介払い」、もう一つには領土と利権の確保という、一挙両得の意味があった。
さらにそのような場所に「戦争犯罪人」を押し込めて、強制労働させたら実に「効率的」というのが、将棋で相手から取った駒を投入するのと同様、スターリンがヒトラーやヒムラーのナチス・エリートとの戦争で学んだ「合理的なゲームのルール」だったわけです。
その結果、1945年8月8日にソ連は平和条約を一方的に破棄して「宣戦布告」、たった1か月ほどの戦争は、1週間で8月15日を迎え、実質丸腰となった日本軍をイジめ殺したのに等しい。
生き残りは拉致してナチス流の合理的「活用」戦争犯罪人のレッテルを貼り、シベリアの都合の良い場所で、油田開発の基礎労働力に使いました。
ちなみに私の父も一兵卒として拉致され、シベリアで無賃労働力として使役され、人生を台無しにされました。
経費は、極めて低廉。ほぼ食費だけ。それなら「1年の籠城」もどうということはありません。
看守役が犯罪者であったのは、父がシベリアで経験した現実でした。
日本兵を銃器武装で強制労働させた「看守」は、収容者の食料などをコンスタントに略取するレベルの、元来は政治犯を含む収監者だった。
シベリアの場合、柵など設けなくても収容に困ることはないのです。というのも、もし、独りで山に逃げ出しても、待っているのは熊や飢餓、冬場なら凍死の運命だけだったから。
「流刑地のロシア人収監者が、戦争犯罪人にされた日本兵を監視、管理」という、極めて「合理的」な、将棋の手筋のようなスターリンの辺境開発ゲームだったわけです。
いまプーチンが興じている「戦争遊戯」も、こうした彼の手本、先駆者たちの手口をそっくりそのまま真似している。
今日ただいまも籠城するウクライナ人に対して「極東が諸君を待っている」と強制移住のビラがばら撒かれて続けている。
そうした実情を見れば、カラクリが透けて見えてきます。