徳川家治

(田丸 昇:棋士)

現代の将棋棋士の礎を築いた徳川家康

 慶長8年(1603)に江戸幕府を開いて初代将軍に就いた徳川家康は、将棋を愛好した。慶長17年には「将棋所」を開設し、将棋を幕府公認の技芸と定めた。将棋指し(当時の棋士の呼称)の初代・大橋宗桂に「五十石五人扶持」の俸禄を与えた。

 幕府の庇護によって、宗桂らの将棋指しは士分に取り立てられ、生活が安定したことで研究や指導に打ち込めた。

 この制度が現代の将棋棋士の礎となった。

 家康は囲碁も愛好した。「碁所」も開設し、初代・本因坊算砂らの碁打ちに前記と同じ俸禄を与えた。

 家康が将棋と囲碁を奨励したのは、戦乱のない平和な世の中にしたいと考えたからであろう。

将棋の第一人者、初代・大橋宗桂

 将棋の第一人者として、初代・大橋宗桂が一世名人に就いた。その後、大橋家のほかに、大橋分家、伊藤家の家元が生まれた。三家の中から時の実力者が名人を引き継いでいった。

 なお、名人は初期の頃、「将棋所」や「上手(じょうず)」と呼ばれた。

 初代将軍の徳川家康、二代の秀忠、三代の家光らは将棋を愛好した。大橋宗桂を江戸城に招いて対局を観戦したり、仙台藩主の伊達政宗らと指した。宗桂と子息の大橋宗古(二世名人)は、伊達家や前田家の有力大名の屋敷をよく訪れて将棋を指導した。