(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)
ウクライナの首都キエフをはじめて訪れたのは、東日本大震災があった翌月のことだった。
日本国内では福島第一原子力発電所の事故が予断を許さない状況が続いていたが、その年の4月26日には史上最悪とされるチェルノブイリ原子力発電所の事故からちょうど25年を迎えていた。福島の将来を推し測るための取材だった。
東日本大震災直後、キエフに「頑張れ日本」の横断幕
その時、キエフ市内を歩くと、ウクライナ国立歌劇場の外壁に張られた大きな横断幕に日本語があった。
「頑張れ日本」
そう書かれていた。震災と原発事故に直面した日本を応援するメッセージであることはすぐにわかった。日本企業のスポンサーもついてはいたが、劇場内ではこの時期に日本フェアを催していて、日本へ熱い視線が注がれていた。