「奴らは俺たちの気が狂うところを見たいんだ」
包囲下にも人々の生活があり、希望があり、顔があった。しかし、死も、また人の隣にあった。旧市街の一画の古い建物の入り口で三人の男女がスナイパーの犠牲になった。
犠牲者のまわりに人が集まっていた。殺された男性の額にはライフルで撃ち抜かれたような穴が開いていた。傍らの年配の女性は口を開けたまま死んでいる。
「殺人鬼!」
と、ボシュニャク人(イスラム系住民)の中年男性が叫んだ。
「奴らは俺たちの気が狂うところを見たいんだ。奴らはその時の気分次第で撃つ。スコープを覗き込んで狙いを定め、引き金を引くか止めるか、自分の揺れる心を遊んでいる。相手が母親のような歳の女性だろうが子供だろうが平気なんだ。若いカップルの片方だけを撃って残された方が泣き叫ぶのを見ていたりするのさ。完全にいかれているんだ。奴らは!」
死と隣り合わせの生活がもう2年近く続いていた。大通りには狙撃避けの大きなコンクリートの壁が作られている。コートやジャンパーの襟を立てた男性、スカーフで顔を包んだ女性、皆、何かを押し殺したように表情のない顔で黙々とその脇を歩いている。時折パーンという銃声音が建物に反響した。だが、もはや1発2発では誰も顔色すら変えない。銃声が鈍い機関砲の音に変わった。その途端、目の前の若い女性が、さっとコートの裾をひるがえして角を走り抜けて行った。
ドドドッ、機関砲の短い連続音が聞こえ、真っ赤な曳光弾が一筋の赤い軌跡を残しながら高層ビルの窓に跳ね返る。
夜になっても、窓の外からひっきりなしに機関砲や砲撃の音が聞こえてきた。今にも弾が飛びこんできそうな暖房もない真っ暗な部屋で、その日であった人々のことを考えていた。
あの人達も今頃は眠りについているだろうか、と。
その時は、その後に起こるとんでもない大惨事の事など想像もしていなかった。
*後編「非戦闘地域への砲撃、30年前のサラエボで市民はこんなにも簡単に殺された」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69331)に続く