ゲーム感覚で市民を狙撃するセルビア人兵士
私が国連保護軍の輸送機でサラエボ空港に着いたのは1994年1月のことだった。サラエボ包囲が始まってから2年近くが経った冬、雪雲が低く垂れ込めた空港に降り立ったのはトルコ人ジャーナリストと自称する怪しげな男と私の2人だけだった。
砲弾避けの土嚢が積まれたイミグレーションを通り、装甲車で町に向かった。車の小さな窓から見える郊外の町は、これでもかという程、砲撃で破壊されていた。瓦礫の山が続く。建物にめり込んだ機関砲の弾。
サラエボの市街はセルビア人勢力によって完全に包囲されていた。彼らは盆地という地形を利用して丘の上に大砲を据え、絶え間なく砲弾を撃ち込んでいた。ドーンという不気味な音が響く。逃げられずに町に残った人々は、ライフラインも完全に止まった中で、じっと息を潜めて一日一日を過ごしていた。町の通りという通りはスナイパーたちに見張られていた。彼らはゲーム感覚で引き金を引き、通りを行く人間を殺す。狂気としか思えない。戦争というのは人間の狂気をえぐり出のか。
一人の男性が声をかけてきた。彼はゆっくりとした英語で異国から来た私に平和な頃の美しいサラエボの日常を語った。友人達ととりとめのない話をしながら飲むラキア酒と手を油まみれにしながら食べる手長海老のオリーブ揚げ。彼は目を細めながら言った。
「あの頃を思い出すだけで胸がいっぱいになる……」
そして「なぜ?なぜこんな事になってしまったんだろうね。人間は狂うんだね。なぜ?」と絞り出すように「なぜ?」を繰り返した。