(城郭・戦国史研究家:西股 総生)
なぜ「弓矢」なのか?
武士が使う武器といえば、刀・薙刀・槍・弓矢などを思い浮かべる人が多いでしょう。ただし、鎌倉殿の時代には、まだ槍はありません。槍が本格的に普及するのは、室町時代になってからです。
また刀も、刃を下にして紐で吊す太刀(たち)というタイプです。時代劇でおなじみの、帯に差すタイプの打刀(うちがたな)とは、形も使い方も違います。ドラマで見ていると、北条時政役の坂東彌十郎さんは太刀を抜く動作がとてもサマになっていて、カッコイイですね。太刀は、腰をすっと落として体を回すようにしないと、きれいに抜けません。さすが、歌舞伎役者です。次回から、ちょっと注目してみて下さい。
さて、この時代の主力兵器は何かというと、弓矢です。タイトルバックの映像も、弓矢の時代の合戦をイメージしたものになっています。武士たちは、強い弓で遠くまで矢を飛ばせること、高い命中精度と貫通力を発揮できることを尊び、自分の力や武芸を誇示したがりました。
なぜなら、土地に根を張って生きる地方の武士たちは、自分の家や所領を守るために武力を蓄えていたからです。なので、彼らは他の誰より強よくありたい、というメンタリティーの持ち主だったのです。
また、武士たちは地方社会では支配階級です。狩の獲物を食べることも多いので、庶民より栄養状態がよく、ふだんから武芸を鍛錬しているので、明らかにガタイがよかったはずです。要するに、体育会ノリの田舎のヤンキーみたいな感じです。今回のドラマでは、和田義盛がいい感じに坂東武者の典型として描かれています。
そんな坂東武者たちとは、ちょっと違うのが義経です。乳呑み児のうちに寺に預けられ、小僧として育てられた義経は、おそらく小柄で華奢な体格だったはず。その意味で、菅田将暉さんというキャスティングは当を得ています。
その義経について、『平家物語』には「弓流し」というエピソードが出てきます。屋島の合戦のとき義経は、敵と競りあううちに弓を海に落としてしまい、必死に拾おうとします。味方の武士が、「源氏の大将なんだから、弓くらいケチケチしなさんな」と言ったところ、義経は「いや、源氏の大将だからこそ、敵に拾われて、こんな弱い弓を引いているのか」と笑われたくないんだ、と答えたとのこと。弓の威力や射程距離では、義経はムキムキマンの坂東武者にはかなわなかったのです。
一方、この時代の弓は、敵を遠くから倒すためだけに使われたわけではありません。遠矢や流れ矢は、鎧や楯で防ぐことができるからです。鎧に矢が刺さっても、鎧と体との間で鏃(やじり)が止まれば、かすり傷ですみます。
実際の戦いでは、鎧を着た敵を倒すために、至近距離から矢を貫通させたり、鎧の隙間や弱点をピンポイントで狙うことも多かったのです。至近距離から放たれる矢は、よけたり防いだりできないので、恐怖そのものです。
2月27日放送の第9回で描かれた、ウサギを取り合うシーンには、実はこうした弓の使い方と義経のキャラが、凝縮されていたのです。