国会議事堂の向かい側に立つ三棟のビルが議員会館。手前から衆議院第一議員会館、衆議院第二議員会館、参議院議員会館

(廣末登・ノンフィクション作家)

 筆者は、平素、裏社会ネタばかり書いているから、永田町などとは無縁の人間ように思われているかもしれない。しかし、人生とは不思議なもので、一見関係なさそうなところに縁があったりする。

 実は筆者には永田町で議員秘書をしていた時代がある。当時、魑魅魍魎が跋扈すると言われる永田町で何とかやってこられたのは、衆議院第二議員会館の地下二階にある老舗売店「おかめ堂」の寺田真三社長(74歳)のお陰でもあった。この売店の「国会弁当」は、当時の筆者の主食と言っても過言ではない。

衆議院第二議員会館地下にある「おかめ堂」(筆者撮影)

 福岡から単身上京して永田町に飛び込んだ筆者は、寺田社長と軽く世間話をすることで、孤独感を和らげることができた。現在の議員会館が完成し古い会館から引っ越しする時などは大変お世話になった。先輩秘書や大臣秘書が限られた台車をキープしてしまうので、作業に不可欠な台車が無く途方にくれていたところ、「うちの台車を使いなよ」と、声をかけてくれたことは今も鮮明に覚えている。

 そんな恩義のあるおかめ堂だが、どうも筆者は詮索好きなので、「いったい全体、議員会館に出店するにはどういう経緯があったのか」という素朴な疑問をかねてから持っていた。さらに、その店が半世紀の歴史を有するときたら、お店の背後に存在するであろう人間ドラマを想像するだけで、いたく好奇心を刺激されるのだ。

 そこで、現在は永田町を離れ福岡を拠点に活動する筆者だが、上京した際にひさびさに「おかめ堂」を訪ねてみた。そして、いつも多忙を極める議員会館の売店だが、コロナ禍で来客も少ないタイミングを見計らい、寺田社長に売店の誕生秘話を聞いてみた。

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山本幸一代議士が名付けた「おかめ堂」

 この店を始めるきっかけは、旧社会党書記長の山本幸一代議士(故人)の秘書をやっていた姉(次姉)が、「新しい議員会館を建てるにあたって、どんなテナントがいいか皆に諮ったところ、パン屋が欲しいということだった。君のところでやってみないか」と、言われたことです。

 ただ、そうはいっても、その時のテナントは、皆さん「大物議員」の紹介ばかり。どれに決める訳にもいかなかった。結局、抽選になったのですが、ウチが当選したんですよ。

 1965年、今から57年前に竣工した衆議院第二議員会館に「おかめ堂」が入りました。ウチの姉(長姉)と母が切り盛りするので、山本代議士から、おかめ堂と名付けてもらいました。おかめとは、「古の美人」の象徴とされることから、名付けられたと聞いています。その時に代議士から贈られたのが、おかめの能面です。

山本幸一議員からおかめ堂に贈られたというおかめの能面(筆者撮影)