人間は永遠の生を求める。この探求、この不死への意志こそが人類の業績の基盤である。そして「どのようにして不死を達成するか」、根底には4つの基本形態しかない。それぞれの「不死のシナリオ」によって不死が実現しうるのかを、4回に分け、一つずつ検証する。(JBpress)
※本稿は『ケンブリッジ大学・人気哲学者の「不死」の講義』(スティーヴン・ケイヴ著、柴田裕之訳、日経BP)より一部抜粋・再編集したものです。
前回「心のデータをダウンロードしたロボットは自分?」で取り上げた「蘇りのシナリオ」の蘇りの問題は主に、亡くなった人と復活した人が本当に同一の人間になるかどうかにかかわるものだ。これらの問題の解決策が自然につながっていくのが、不死のシナリオの第3の基本形態、すなわち「霊魂のシナリオ」だ。
ノーベル賞学者を虜にした不老不死のビタミン療法
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68681
心のデータをダウンロードしたロボットは自分?
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68682
今日、霊魂の存在を信じていると公言する人は厖大な数にのぼるとはいえ、霊魂とはいったい何だと思っているかと問い詰められると、多くの人が曖昧になる。だが、もしあなたが霊魂のおかげで不死を達成できるのならば、霊魂は何らかの根本的な本質、すなわち真のあなたを捉えているに違いない。だからこそ、身体が死んだ後も霊魂が生き続けたなら、あなたが生き続けるのだと、安心できるのだ。
西洋では、「真のあなた」はたいてい、あなたの心を意味すると解釈される。考えたり、感じたり、思い出したり、夢を見たりする、あなたの意識のある部分のことだ。死にゆく身体から漂い出したり、天国に着いたりするとき、あなたは少なくとも、意識的自覚と、元のままの記憶や信念や夢は持っていたいだろう。
したがって、不滅の霊魂が存在することを証明するには、身体から独立し、身体的死を生き延びられる何らかの霊的本質を拠り所とする心が存在することが前提となる。逆に、心が完全に身体を拠り所としていたら、心は身体が死ぬときに死に、霊魂と呼べるようなものは何も残らないと結論せざるをえなくなる。
「霊魂のシナリオ」の妥当性にとって決定的に重要な疑問は、沈没していく船の船長のように、心あるいは意識が、死にゆく身体を離れて存在し続けられるか、それとも、ソクラテスの懐疑的な友人の一人が言ったとおり、竪琴が壊れれば竪琴の調べも止むのとまったく同じで、身体が死を迎えれば心も滅するのか、だ。証拠を見てみよう。
心が脳を拠り所としていることを示す初期の非常に有力な証拠は、脳に損傷を負った人々の事例から得られた。おそらく最も有名なのが、アメリカのヴァーモント州で働いていた鉄道工事監督のフィニアス・ゲイジの事例だろう。