人間は永遠の生を求める。この探求、この不死への意志こそが人類の業績の基盤である。そして「どのようにして不死を達成するか」、根底には4つの基本形態しかない。それぞれの「不死のシナリオ」によって不死が実現しうるのかを、4回に分け、一つずつ検証する。(JBpress)
※本稿は『ケンブリッジ大学・人気哲学者の「不死」の講義』(スティーヴン・ケイヴ著、柴田裕之訳、日経BP)より一部抜粋・再編集したものです。
あらゆる生き物が先々まで生き延びようとするが、人間は永遠の生を求める。この探求、この不死への意志こそが、人類の業績の基盤であり、宗教の源泉、哲学の着想の起源、都市の創造者、芸術の背後にある衝動だ。
「どのようにして不死を達成するか」という物語は見たところ多様であるものの、その根底には4つの基本形態しかない。私はそれを4つの「不死のシナリオ」と呼ぶことにする。
第1の道は、私たちの本能に直接端を発している。他のあらゆる生き物と同じで、私たちも死を避けようと懸命に努力する。永遠に――物理的に、この世で――死を避けるという夢は、不死のシナリオのうちでも最も基本的なものだ。この最初の道は単に、「生き残りのシナリオ」と呼ぶことにする。
だが、「生き残りのシナリオ」にすべてを賭けるという戦略は危うい。これまでのところ、成功率ははなはだ心もとないからだ。したがって、第2の道が代替策を提供してくれる。それによれば、たとえ死が訪れても、やり直しが利くという。これが「蘇りのシナリオ」で、私たちは物理的に死なねばならないとはいえ、生前に持っていたものと同じ身体で物理的に復活できるという信念だ。
とはいえ、来世では、たとえデジタル形式であってさえも、かつての身体を継承したがらぬ人もいる。物質界はあまりに当てにならず、永遠性を保証できないと思っているからだ。したがって彼らは、何らかの霊的存在、すなわち「霊魂」として生き延びることを夢見る。これが第3の道だ。この「霊魂のシナリオ」を信奉する人は「蘇りのシナリオ」の信奉者とは違い、この世に物理的に蘇ることにおおむね見切りをつけ、何かもっと霊的なものから成る未来を信じる。
霊魂の概念は東洋でも西洋でももてはやされてきたものの、この概念にも疑いを抱く人はいた。そのような人でさえ、おそらく最も広く普及しているシナリオ、すなわち第4の道である「遺産(レガシー)のシナリオ」には慰めを見出すことができる。