『鬼滅の刃』吾峠呼世晴原画展より

(乃至 政彦:歴史家)

 鋭い視点と丁寧な考察で話題を呼んだJBpressでの連載をまとめた書籍『謙信越山』。著者の歴史家、乃至政彦氏が大人気漫画『鬼滅の刃』を読み解くシリーズ第4弾は、「鬼舞辻無惨の千年史」として、鬼舞辻無惨が名付けたという十二鬼月の名前から、彼らの真相に迫ってみたい。(JBpress)

※記事中『鬼滅の刃』のネタバレを含みます。閲覧にはご注意ください。

歴史家が考える鬼滅の刃④-1 十二鬼月のホーリーネーム(前編)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68405

後編を読み進める前に

 前回は、鬼舞辻無惨の精鋭部隊である「十二鬼月」の「上弦の鬼」たちの命名がどういう順番だったかを整理した。未読の方は、必ず前編を一読してからこの先を読み進めてもらいたい。ネタバレが多いので、原作未読の方はここで引き上げることをおすすめする。

戦国時代から江戸時代の無惨

 ここから別の十二鬼月たちを見てみよう。特筆したいのは、妓夫太郎と堕姫が亡くなったあと、黒死牟の推薦で「上弦の陸」に昇進した「獪岳(かいがく)」と、「下弦の伍」である「累(るい)」だ。獪岳は我妻善逸と同じ師を持つ同世代の剣士で、大正時代に鬼となった。累は「鬼になって二十年弱」(公式ファンブック2)なので、明治時代に鬼となったことが確実である。

 どちらも近年、鬼になった少年だが、なぜか2人ともホーリーネームを与えられず、人間時代の名前をそのまま使っている。一方で同じ頃の明治・大正期に鬼となり、下弦の陸に昇進した「響凱(きょうがい)」だが、こちらは公式ファンブックに「人間時の名前:不明」とあることから、ちゃんとしたホーリーネームを授かっているようである。

 ほか下弦の鬼では、魘夢(えんむ)、轆轤(ろくろ)、病葉(わくらば)、零余子(むかご)、釜鵺(かまぬえ)がいる。彼らは無惨から「ここ百年余り/十二鬼月の上弦は/顔ぶれはが変わらない」のに、「しかし下弦はどうか?/何度入れ替わった?」と責められている。しかも無惨に思考が読まれることすら知らず、その力量もまともに読めず、近代的な衣装を着用していることから類推するに、いずれも鬼歴が浅いと見える。彼らは明治以降に鬼化されたのだろう。