(城郭・戦国史研究家:西股 総生)
◉鎌倉殿の時代(1)頼朝を取り巻く人々PART1
(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68307)
鎌倉時代の武士は「個人事業主」
『鎌倉殿の13人』は、源頼朝のもとに集まった関東の武士たちが、自分たちの政府を打ち立ててゆく物語です。では、武士とは何なのでしょうか?
『鎌倉殿』に出てくる武士たちは、おなじみの時代劇に出てくる江戸時代の武士たちとは、だいぶ様子が違います。鎌倉時代は江戸時代より400年も前ですから、服装や持ち物が違うのは当たり前として、もっと決定的な違いがあります。
江戸時代の武士たちは「藩(大名家)」という組織に仕えるサラリーマンです。それに比べて『鎌倉殿』の武士たちは、全然サラリーマンぽくないですね。それも、そのはず。この時代には、まだ幕府も藩(大名家)もありませんから、武士たちはサラリーマンではなく、個人事業主なのです。
武士とは、「武」を生業(なりわい)とする人たちです。「武」とは、戦いや人殺しに関すること。ではなぜ、戦いや人殺しを生業とする人たちが生まれたのでしょう?
武士がどこから生まれたのかは、いろいろな説があります。大別すると、皇族や貴族の一部が地方に土着して武士の祖となった、という考え方と、古代以来の地方豪族が武士となった、という説とがあります。実際は、両方のコースがクロスオーバーしたところから武士が生まれた、と考えた方がよさそうです。
もともと日本の古代国家は、外国からの侵略に備えて「律令制」という強力な中央集権体制を作り上げました。「律令制」は、当時の先進国だった唐や新羅の制度にキャッチアップしたものです。この、グローバルスタンダードを目ざした国家体制で、日本は昔ながらの豪族連合軍に代わる「国軍」を創設しました。
ところが、日本が海外への軍事干渉をやめて平和国家であり続けた結果、外国から侵略される脅威もなくなりました。こうなると、国軍は維持コストがかかるばかりで、無用の長物です。平安時代になると国軍は次第に縮小され、解体されてしまいました。
とはいえ、海賊のような連中への対処や治安維持のために、武力が必要になることはあります。地方豪族のうち、腕に覚えのある元気のいい者たちが都度、そうした任に当たるようになりました。つまり、平安王朝は武力を国家で管理するのをやめ、必要に応じて民間にアウトソーシングする政策に転換したのです。
わかりやすくいうと、このアウトソーシング策の受け皿として成長してきたのが、武士たちです。なので、平安時代の武士たちは、ふだんは軍務に就いていません。自分たちの勢力圏(シマ)を守り、他の者から権益を侵害されないために、武力を蓄えています。
勢力圏内にある土地の権益が、彼らの収入源。その意味では、彼らは農場主のような立場ですが、自分で田畑を耕しているわけではありません。田畑など耕していては、武芸の鍛錬ができないからです。
シマからのアガリを収入源として武芸を磨く生き方をしている以上、領民から恐れられないと示しがつきません。同業者から足元を見られたら、たちまち権益を奪われます。前回、工藤祐経の紹介で、「武士は他人からナメられたら生きていけない」と書いたのは、そういう意味です。
個人事業主としての武士、なかなか厳しい生き方ですね。