その後、機動隊が投入され、学生の自由の砦であるバリケードは撤去され、日大全共闘自体も1970年の夏には自然消滅した。
全共闘つぶしで大学側に重宝がられた田中前理事長
「国家権力である機動隊は治安維持のプロだから強いのは当たり前だけど、それとは別に日大にはプロのヤクザのような集団がいたな」
とOB達は振り返る。
その集団とは“関東軍”と呼ばれる柔道部や相撲部、空手部などの体育会系の学生とそのOBで日大や系列校の職員による集団で、300人くらいが日本刃やハンマーを持って学生に襲いかかってきたのだ。現場ではまさに血の雨が降った。その大学お抱え“関東軍”を率いていたのが日大相撲部で学生横綱にもなった前理事長の田中英壽(74)だ。68年当時は経済学部の4年生だった。
OBは証言する。
「あの田中は学生に向かって建物の上から砲丸投げの球を投げ落したんだ」
その時S氏が言った。
「我々の戦いは正しかったと思う。悪との戦いだった。しかし、あの運動が今の日大の体制を作る元になったかもしれない。相撲部の田中やアメフト部の井ノ口らは大学から全共闘潰しに使われて、そしてその後も居座った。あの時の番犬たちが今の日大を牛耳っている。俺たちの戦いが残したものが、さらなる日大の闇を作ったのだとしたら皮肉だね」
田中英壽は、1969年に経済学部を卒業すると、そのまま日大の獣医学部の体育助手兼相撲部コーチとなった。83年に相撲部監督となり相撲の指導者としても名をはせる一方、学内でも着実に出世していった。99年に大学の理事、2002年に常務理事、そして2008年にはついに大学の理事長にまで上り詰めた。
一方、日大全共闘の学生のその後の人生は様々だった。
鉄工場のオヤジ、トラックの運転手、ジャーナリスト、飲み屋の経営者。多くの学生が大学を見限り退学した。除籍処分を受けて大学に在籍していた事実自体を抹殺されていた者、政治闘争に突き進み20年刑期を過ごした者もいる。
彼らはヒーローでもないし、負け犬でもない。そもそも人生には勝ち負けなどない。その人の生き方があるだけだ。
これから田中英壽体制にあった日大の闇が暴かれていくだろう。日大全共闘を経験したOBとして気になるのは、その時、現役の日大生はどう大学と向き合うのか、ということだ。
何かと理不尽で窮屈な世の中は、今も昔も変わらない。醜さと向き合った時、目を背けて生きる方が楽だと思うかもしれない。しかし、不義に対して声を上げるのは無関係の誰かなのではない。それができるのは他でもない、当事者だけなのだ。