岩田 現在の9条のもとでも敵地攻撃は可能です。1956年、当時の鳩山一郎首相が「(我が国に)攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とはどうしても考えられない」と答弁しています。「他に手段が見つからない場合は敵基地攻撃も自衛権と認められる」が政府見解となり、歴代内閣が引き継いでいるのです。
この場合の「敵基地」とは、例えば北朝鮮の弾道ミサイルで言えば日本に飛来するミサイル本体やその発射台、運搬する列車や車、通信施設や司令部などを意味します。攻撃の意思がある、あるいは準備をしている、もしくは攻撃してくる敵基地への攻撃は自衛のための反撃であり、国際法にも抵触しません。
──敵基地攻撃は「専守防衛」の理念に反する、として反対する人もいます。
岩田 専守防衛は、第2次世界大戦時のように我が国が外国を攻撃することなく専ら国土の防衛に徹することを意味するものと考えています。一方で、国家固有の権利である自衛権があります。日本の場合は、相手国から武力攻撃を受けた時には必要最小限度の武力で対抗します。敵基地攻撃もこの必要最小限度の武力の範疇です。ミサイルもしくはロケットなどでピンポイント攻撃をして基地等を破壊するのです。都市への攻撃をするものではありません。
平時には隙を与えず、仮に攻め込まれた時には、自分たちの力で国家を守り抜く。そのために軍事力を保有する。これは国際常識であり、国連憲章第51条では侵略に対する反撃が認められています。これらを無視して、「侵略をされたときに戦争につながるから武器を持たない」とする国家や国民は一体何なのでしょう。それで国家・国民と言えるのでしょうか。侵略された後にどうなるのか? もはや完全に思考停止した国家や国民と言わざるを得ません。
相手国からミサイルで攻撃されるのが現実のものになろうとしている。あるいは、1発目の弾道ミサイルが着弾し、甚大な被害や多数の犠牲者が出ている。その時に1億2000万人は座して死を待つのですか? 国家・国民として自分の国を自分で守るという自尊心はないのですか? 私はそう言いたい。侵略を受けているにもかかわらず無抵抗のままでいる1億2000万人の国家はありえない。自衛のための反撃をしないと攻撃を受けて多くの国民が犠牲となるのです。無抵抗でいるということは専守防衛や国際法以前の話であり、国際常識としてもありえない。ごく当たり前のこととして、敵基地攻撃能力を保有するべきなのです。
(後編に続く)