昨年秋からの金融危機で、米国の有力大学が相当額の資産損失を出しているらしい。一説にハーバード、マサチューセッツ工科大学(MIT)などの名門大学が数十億ドル近い損害を被ったとも聞く。

 正確な金額は把握できないが、各大学が何らかの金融資産の暴落で一定以上の損失を出しているのは間違いない。

ハーバード大にも金融危機の余波、大学基金が80億ドル減少

大学基金が80億ドルもの損失を出したとされる米ハーバード大学〔AFPBB News

 この影響が最も心配されるのが、基礎的な科学研究の諸分野だろう。第2次世界大戦中から、米国は「科学の舞台」としての役割を果たしてきたからだ。ファシズム国家の惨禍を逃れてドイツ、イタリアなどから亡命してきたユダヤ系を中心とする科学者たちにより、核兵器とコンピューター、そして大陸間弾道弾から宇宙開発に至る、20世紀中後半の主要なイノベーションが米国の国費を傾注して進められた。

 イタリアからカナダを経由して旧ソ連で水爆開発に関わった物理学者、ブルーノ・ポンテコルヴォのような例外もあるが、大きく言って1929年の大恐慌から2008年までの79年間、「世界の研究室」として米国が圧倒的な役割を果たし続けてきたのは間違いない。

グリーン政策へ方向転換、でも基幹技術がない

 その米国は今、研究対象の大きな変化に直面している。米国金融恐慌の直後に発足したバラク・オバマ民主党政権は「グリーン政策」を目標として大きく掲げた。環境イノベーションに研究の舵を大きく切ったのである。

 しかし、少し注意深く見るならば、オバマ大統領が喧伝するグリーン政策を支える基幹技術やコアコンピタンスの多くを、米国が持っていないことが明らかだ。

 例えば環境対策や小型の発電設備も、EUや日本が長年地道な取り組みで技術を積み上げてきた結果、高い競争力を維持している。国連やEUが音頭を取ってまとめた「京都議定書」を批准できなかった今までの米国の歩みを見ても、この急速な「チェンジ」には原理的な無理があるように見える。

 こうした事情に加えて、今、金融破綻によって米国の多くの有名大学が相当金額の損失を出し、基礎研究費の大幅削減が懸念されている状況は、グリーン政策の前途が多難な道のりになりそうなことを予想させられる。

 実は、「世界の研究室」だった米国の地盤沈下は1980年代後半から静かに始まっていた。

 1980年代半ばまで、仮想敵国・ソ連との核軍拡競争が進んでいた時期、米国は文字通り国費を傾注することで、素粒子・原子核物理学でも、宇宙開発でも、圧倒的なトップを走っていた。かつてソ連に大きく後れを取った「スプートニク・ショック」や「キューバ危機」へのアレルギー的な反応もあったに違いない。

米国はもはや先頭を独走する「超国家」ではなくなった

 しかし、冷戦が終わって18年目の昨年、リーマン・ブラザーズ破綻にわずかに先立って、欧州原子核研究機構 CERN で次世代超巨大加速器 LHC が運転を開始した。これは象徴的な出来事だった。米国が既に、素粒子物理学の先陣を独走する「超国家」でないことが明らかになったからである。

 通常核は地球上に掃いて捨てるほど存在するようになり、宇宙創成の「ビッグバン」にも迫ろうという素粒子実験は巨大すぎて、いくら国威発揚のためと言っても、採算に合わなくなっていたのだ。冷戦末期の1980年代後半、米国は不況というすり鉢の底にあった。

 そこに到来したのが、1987年の「ブラックマンデー」だった。ニューヨークの株価下落と同時にドル暴落が懸念され、日銀や西ドイツ(当時)の中央銀行は賢明にドルを買い支えた。しかし、既に恐慌という言葉さえ使われ始めた今回の不況では、そんな風景は見られない。

 何が変わったのだろうか。第2位の準備通貨ユーロの登場が1つの大きな原因として挙げられる。そしてこれが、基礎科学にも浅からぬ影響を及ぼすのである。

 今回の不況では、サブプライムなどの国際化した金融商品の普及もあって、ドル以上に影響を受けてしまったのがユーロの流通圏だった。