「私利」とは私たち個人の利益で小さな欲である小欲を指す。
これに対して「公利」とは皆の利益であり大欲。仏教用語では「利他」にあたり、自分を犠牲にして、他人に利益を与えることを指す。
私たちは社会という共同体に属して生活をしながら秩序と規律が育まれる。集団においては、そうした美徳を重んじる傾向がある。
1549年に来日したイエズス会のスペイン人宣教師のフランシスコ・ザビエルは、日本人についてこう評している。
「日本人は総体的に良い資質があり悪意がない。彼らの名誉心はとても強く、日本人にとっては名誉がすべてである」
「日本人の生活には節度がある。武士がいかに貧乏であろうとも、平民がいかに裕福であろうとも、その貧乏な武士が、裕福な平民から富豪と同じように尊敬されている」
日本独特の思想に「士道」がある。
それは江戸時代の支配層であった武士は、道徳的な指導者として精神修養に務め、文武両道の鍛錬と自らの命をもって責任を取るべきといった考え方で、農民、職人、商人など人々の模範であるべきという理念である。
武士の心構えを記した『葉隠』の一節に「朝毎に懈怠(かいたい)なく死して置くべし」とある。
これは、常に自身の生死に固執することなく正しい決断をせよ、という意である。
明治時代以降も、こうした他人のために命を投げ出すといった「捨身飼虎」の考え方は日本の指導層やエリート層に広く受け継がれ、損得よりも正義、規律、秩序といった道徳的価値観が、いまも日本社会に深く根付いている。