生きることには必ず苦しみが伴う。また苦しみがあるから喜びがある。では、何が人に幸せをもたらすのか。幸せの本質とはいったい何か――。
がむしゃらに働いた日の晩に飲む酒は、何もしないで過ごした時の酒よりも旨いものである。自分が好きなことだけをして、嫌なことはしない人生は幸せな人生ではない。
人は瞬間的快楽を味わえば、もう一度その幸福感に浸りたいという欲求が生じる。ギャンブルや飲酒、性的行為に耽れば一時的ではあるがかなりの幸福感が得られる。
しかし、置かれている環境や状況が悪ければ、その幸福感に永続性はなく、本質的な幸せに直結するものではない。
だが長い時間、夢や目標を実現させるために自己を抑制し続ければ、望みが叶った瞬間、その幸福度は一気に上昇する。
そもそも幸福な人生とはどういう状態を指すのだろうか。仕事、生活、お金、愛情、いろいろな幸せに通じる要素がある。
人には、それぞれに感受性があり、価値観が異なるため幸せな人生は主観的なものだ。
だが、もし愛するわが子にどういう人生を送ってもらいたいか、という観点に立てたとしたならば、幸せな生き方について、もう少し客観的にとらえられるはずだ。
自分の子供たちが歩む人生の方向性としては、悪よりは正義の道に進むのが望ましく、混迷よりも調和のある人生を歩んでほしいと願うのは誰しも一致するところではないか。
人間には108の煩悩があり、欲望は苦しみの原因となる。仏教では人の悩みや苦しみは「無明」や「三毒」から生じるととらえる。