宗教は人々を平和に導くのではなく、逆に宗教こそが民衆、地域、世界、時代のそれぞれを混迷へと引っ張っている、という現実がある

 かつては八百万の神という概念が人々の間に深く浸透し、また、長い間、国難には神風が吹く神の国と信じられてきた日本だが、昨今、宗教離れが加速している。

 特に、伝統仏教に対してそうした傾向は顕著だといわれる。日本人は、なぜ、宗教を必要としなくなったのか。神仏を信じる必要がなくなったのか。

 日本のご意見番である田原総一朗氏と高野山真言宗宿老の池口恵観氏に混迷の時代における宗教の役割について話を聞いた。

田原総一朗:人類の歴史は人間同士の争いの歴史といえます。そして、いま、世界を見回してみますと、相変わらず人は人と争っています。

 その要因は大きく分けて2つあり、一つは地域や国家の利権など経済的政治的要因、すなわち領土や権益といったもの。

 そして、もう一つは宗教があります。

 領土問題というのは話し合いで解決する余地がある場合もあります。権益もまた同じです。双方が主張を譲りながら妥協点を見いだすことで、紛争は解決する。

 そうした例は多いですが、宗教に関する争いは、もっと複雑です。

 ローマ教皇ウルバヌス2世がキリスト教徒に対し、イスラム教徒に対する軍事行動を呼びかけた十字軍はイスラム教とキリスト教の争いであり、1947年のインド・パキスタンの分離独立にはヒンドゥ教とイスラム教の対立が引き金となりました。

 最近では、旧ソビエト連邦のアルメニアとアゼルバイジャンの戦闘の根底にキリスト教とイスラム教の対立という要素があります。

 また仏教国であるミャンマーにおいてはイスラム教の少数民族ロヒンギャの迫害など、いまも宗教的な要因で世界各地で争いが続いています。

 最近ではフランスの学校の先生がモハメッドの風刺画を授業中に生徒に見せたことで、イスラム過激派の男に首を切られること事件もありました。

 イスラム教の中でも同じモハメッドが起こした宗教でありながらスンニ派とシーア派という立場の違いで、いまだ中東では争いが続き、解決する兆しが見えていません。

 つまり、宗教は人々を平和に導くのではなく、逆の宗教こそが民衆、地域、世界、時代のそれぞれを、混迷へと引っ張っているという現実が見て取れます。

池口恵観:かつて日本では宗教弾圧ともいえる比叡山焼き討ち、一向一揆、島原の乱などは宗教と権力の対立という構図でした。

 しかし、日本においては宗派間の紛争というのはあまりなく、日本の戦国時代に起きた日蓮宗(法華宗)と浄土真宗本願寺教団の対立から生じた法華一揆くらいで、日本は宗教に対し、信仰の違いにおいては寛容といえます。

 対立があったとしても、せいぜい自らの優位性をアピールするくらいで、真言宗と浄土宗が武力をもって対立したとか、殴り合いのけんかをしたなどという話は聞いたことはありません。

 宗教宗派の違いで殺し合うというのは、いまの日本人には理解するのは難しいかもしれません。