中国共産党が長寿である第2の理由は、思想面での変わり身の早さに求められる。

 毛沢東が1976年に死去してから2年も経たないうちに、新しい指導者の鄧小平は、生産性を破壊的に低下させた毛沢東の「人民公社」を廃止し始め、農村部で市場原理が働くようにした。

 毛沢東主義者たちはたじろいだが、生産高は急増した。

 天安門事件やソ連崩壊の際にも鄧小平は筋金入りの毛沢東主義者を排除し、それまで以上に熱心に資本主義を導入した。

 その結果、数多くの国有企業が閉鎖され、住宅の民営化が進んだ。何百万人もの労働者がレイオフされたが、中国は好景気を迎えた。

 習氏の下で共産党は再び方針を転換し、思想的な正統性を重視するようになった。直近の前任者たちは穏健な反対意見をある程度容認していたが、習氏はこれを弾圧している。

 毛沢東が再び称賛されるようになり、党の幹部は「習近平思想」を受け入れている。官僚組織も軍も警察も、異論の持ち主や汚職を働いた職員をパージした。大企業も同調させられている。

 習氏は草の根レベルで党を建て直し、隣近所に目を光らせるスパイのネットワークを構築したり党幹部を民間企業に送り込んで監視させたりしている。

 中国社会がここまで厳しく統制されるのは、毛沢東時代以来のことだ。

 中国共産党が成功している第3の理由は、有力なコネを持つ人々がもっぱら富を吸い上げていく分かりやすい収奪政治に転落しなかったことにある。

 確かに汚職は蔓延するようになり、最も強い権力を持っている一族は実際、超の字が付く金持ちだ。

 だが、多くの国民は自分の暮らし向きも良くなったと感じ、共産党も国民の求めているものを抜け目なく察知した。

 党は農業税を廃止し、年金や費用負担が軽減された医療を全国民に提供する福祉制度を立ち上げた。

 それほど気前の良い制度ではなかったが、感謝された。